コンプトン家
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1536年から1567年にかけて庶民院議員を務めたヘンリー・コンプトン(英語版)(1538頃-1589)は、1572年5月8日の議会招集令状(英語版)[要リンク修正]によるイングランド貴族爵位「コンプトン男爵(Baron Compton)」に叙せられた ついでその息子である第2代コンプトン男爵ウィリアム・コンプトン(英語版)(-1630)は、1618年8月2日の勅許状によるイングランド貴族爵位「ノーサンプトン伯爵(Earl of Northampton)」に叙せられた。 3代ノーサンプトン伯ジェイムズ・コンプトン(1622–1681)の第3子スペンサー・コンプトン(1674頃–1743)は、ホイッグ党の政治家として活躍し、1730年に本家と別にグレートブリテン貴族爵位ウィルミントン伯爵に叙せられ、1742年から1743年にかけて首相を務めたことで知られる。しかし子供がなかったため、ウィルミントン伯爵位は彼の死とともに消滅している。 議会招集令状によって創設されたコンプトン男爵位は女系継承が可能であるため、5代ノーサンプトン伯ジェイムズ・コンプトン(1687–1754)が1754年に娘のみを残して死去した際に女系継承が行われた。一方男系男子のみに継承されるノーサンプトン伯爵位は、弟ジョージ・コンプトン(1692–1758)に継承されたので分離した。 9代ノーサンプトン伯チャールズ・コンプトン(1760–1828)の代の1812年9月7日には「サセックス州におけるウィルミントンのウィルミントン男爵(英語版)(Baron Wilmington, of Wilmington in the County of Sussex)」、「ウォリック州におけるコンプトンのコンプトン伯爵(Earl Compton, of Compton in the County of Warwick)」、そして「ノーサンプトン侯爵(Marquess of Northampton)」に叙せられた。 2015年現在の当主は第7代ノーサンプトン侯爵スペンサー・コンプトン(1946-)である。 邸宅はノーサンプトンシャーにあるアシュビー城(英語版)とウォリックシャーにあるコンプトン・ウィナイエイト(英語版)である。
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