カンボジア救援センターとは? わかりやすく解説

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カンボジア救援センター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 05:41 UTC 版)

カンボジア救援センター
設立 1980年4月9日
設立地 日本
会長 田英夫
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カンボジア救援センター(カンボジアきゅうえんせんたー)とは、かつて日本に存在した民主カンプチア支援団体である。

概要

ベトナム軍によるプノンペン陥落、およびヘン・サムリン政権成立1年後の1980年4月9日、当時社会民主連合(以下、社民連と記述)議員であった田英夫を事務局長として設立された。

活動

同センターは、1980年当時カンボジアに駐留していたベトナム軍を「侵略軍」、ポル・ポト派支配地域を「解放区」と標榜し、カンボジアの「救援」を呼びかけていた。

1980年8月には水野清(衆院議員・自民党所属)、田英夫秦豊(いずれも参院委員・社民連所属)らによる派遣団が、民主カンプチア支配地域を訪れた。これは、西側の政治家として最初の訪問であった。[1]

派遣団は、当時民主カンプチアの「首相」であったキュー・サムファンとの会談を行い、「カンボジア大虐殺は敵(ベトナム)によりでっち上げられたプロパガンダである」との民主カンプチア側の主張を追認、同政権への「支持と支援」を表明した。派遣団の帰国後、カンボジア救援センターは日本国内各地において「カンボジア救援」を標榜しつつ、クメール・ルージュ支援を目的とした募金・講演活動をおこなった。[2]

関連人物

1980年4月設立当初の呼びかけ人は以下の通り。[3]

1980年4月設立当初の呼びかけ人
氏名 当時の役職
市川誠 元・総評議長
井上泉 衆議院議員
宇都宮徳馬 前・衆議院議員
大西良慶 清水寺貫主
河野洋平 衆議院議員
菊地昌典 東京大学助教授
黒柳明 参議院議員
佐々木更三 元・衆議院議員
塩谷一夫 衆議院議員
園田直 参議院議員
田英夫 参議院議員
富塚三夫 総評事務局長
土井たか子 衆議院議員
秦豊 参議院議員
深作光貞 清華大学学長
法眼晋作 国際協力事業団顧問
山本幸一 衆議院議員
渡辺朗 衆議院議員

批判

副島種典は、本救援センターによるカンボジア大虐殺否認・ベトナム軍の「侵略」性の強調を「国際的にはっきり認知されたはずの事実にさからう宣伝」であるとして批判している。[2]

関連項目

脚注

  1. ^ 相沢進一 (1980/9). “「なぜカンボジア救援が必要か」-カンボジア救援センター現地派遣団報告-”. 現代の理論 176: 144-148. 
  2. ^ a b 副島種典 (1980). “カンボジアの現状 -カンボジア人民共和国を訪れて-”. 愛知大学国際問題研究所紀要 = Journal of international affairs (1) 68: 1 - 32. 
  3. ^ カンボジア救援センター田英夫氏らの呼びかけで4月9日正式発足す」『京大カンボジア救援会会報 号外』、1980年4月11日。



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