大宇財閥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/28 01:54 UTC 版)
| 大宇財閥 | |
|---|---|
| 各種表記 | |
| ハングル: | 대우 재벌 | 
| 漢字: | 大宇 財閥 | 
| 発音: | テウ ジェボル | 
| 日本語読み: | だいうざいばつ | 
| RR式: | Daeu jaebeol | 
| MR式: | Taeu jaebŏl | 
| 英語表記: | Daewoo Group | 
大宇財閥(テウざいばつ 英: Daewoo Group)は、1999年に経営破綻した韓国の企業グループ。大宇グループとも呼ばれていた。
破綻前は、韓国の10大財閥の1つに数えられ、現代に次ぎ、韓国第2位の企業グループだった。
沿革
創業
大宇実業は、漢城実業に勤めた実業家の金宇中が1967年、ソウル中区忠武路で、資本金500万ウォンで創業した。東南アジア、米国市場に進出して成功し、1970年代に大宇建設、大宇証券、大宇電子などを次々に創設、新興財閥となった。、1978年には韓国産業銀行と共同出資により、民営化された大韓造船公社(1937年創業)の玉浦造船所を引き継ぐ形で大宇造船を設立した[1] 。
破綻
1979年には26分野34社を擁する財閥となっていたが、同年、朴正煕政権が朴正煕大統領の暗殺という形で崩壊した事が、経営を左右する事となった[1] 。
アジア通貨危機にて約800億ウォン(8430万米ドル)の負債を抱え、1999年夏、ゼネラルモーターズ(GM)による中核企業の大宇自動車(現在の韓国GM)への出資交渉が決裂したことから、経営難が明らかになった。この結果、韓国政府によるグループの解体が行われ、大宇グループは経営破綻した(事実上の倒産)。
その過程でグループ会長の金宇中が43兆ウォン(当時の日本円で約4兆900億円)を持ってヨーロッパに逃亡した。2005年6月14日にベトナムから帰国後、背任などの罪で裁判にかけられ、2006年11月3日に懲役10年と210億ウォン(約25億円)という過去最高の罰金を科す判決を言い渡された。
再建
なお、傘下の企業は債権団の管理下(ワークアウト)の中、順調に再建を果たしており、建設機械で最大手の大宇総合機械を筆頭に売却が始まったが、その過程で大宇の名を冠した企業はほとんどが改名されたため、現在では非営利団体の「大宇財団」「大宇世界経営研究会」(旧大宇人会)などが、当時のロゴ、フォントを使い存続している。
2009年には大宇造船が、イラン国営タンカー会社から210万バレル級のタンカーの注文を受けた[2]。
当時のグループ企業
現在も社名が変更されていない企業
- 大宇建設(錦湖アシアナグループが買収後に再度経営破綻、韓国産業銀行へ売却)
 
現社名から大宇が消滅した企業
現代グループ
- 釜山大宇ロイヤルズ → 釜山アイコンス → 現 釜山アイパーク
 
ポスコグループ
- 大宇インターナショナル → ポスコ大宇 → ポスコインターナショナル
 - 大宇エンジニアリング → ポスコエンジニアリング → ポスコ建設
 
- 大宇造船海洋 → ハンファオーシャン
 
その他
- 大宇キャピタル → 亞洲キャピタル → ウリィ金融キャピタル(ウリィ銀行グループ)
 - 大宇証券 → 未来アセット大宇 → 未来アセット証券(未来アセット金融グループ)
 - 大宇電子–家電メーカー「DAEWOO」ブランドの家電販売 → 大宇エレキ(インドの電機最大手ビデオコンに売却)→ 東部大宇電子(東部グループ)→ ウィニ電子(大有ウィニグループ)
 - 大宇精密工業 → S&T大宇 → SNTモーティブ(S&Tグループ)
 - 大宇自動車販売 → ザイル大宇バス → ザイル大宇商用車 → ザイル商用車(永安帽子グループ)
 
解体された企業
脚注
- 注釈
 
- 出典
 
- ^ a b 木下奈津紀 2017.
 - ^ Iran Daily
 
参考文献
- 木下奈津紀『韓国における軍事政権と財閥 ―「新興財閥」大宇を事例として―』愛知淑徳大学大学院、2017年。
 
外部リンク
固有名詞の分類
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