歴史時代の活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:37 UTC 版)
764年(天平宝字8年)に始まった噴火以降について、新期南岳の活動と呼ぶ。つまり新期南岳の活動は歴史時代のものとなる。新期の活動の特徴として、山腹ないし山麓に噴火口が開口し、山麓部から海岸、海中に厚い溶岩流を流出させる噴火活動があり、また古期の活動には無かった大量の軽石の噴出が見られる。歴史時代の桜島はプリニー式噴火が4回起きており、歴史時代の四大噴火とされている。前述の764年の天平宝字噴火、1471年(文明3年)の文明噴火、1779年(安永8年)の安永大噴火、そして1914年(大正3年)の大正大噴火である。 四大噴火とも山腹部に開口した噴火口からのプリニー式噴火で始まり、火砕流の発生、そして溶岩の流出活動で終結するという共通パターンがあるが、当時の海岸付近で噴火が発生した天平宝字噴火時には、水蒸気マグマ噴火と火口からの環状に噴出する火砕流であるベースサージが発生するなど、それぞれに違った特徴もある。いずれの噴火においても溶岩流は海岸線まで到達している。中でも天平宝字噴火と大正大噴火では海に溶岩流が大規模に流入した。そして四大噴火ともに前兆地震が発生したと推定されている。火砕流ないし火砕サージも四大噴火全てで発生しているが、各噴火とも噴出物に占める割合としては大きくなく、プリニー式噴火時かその後に発生するためか人的被害も比較的少ない。安永噴火、大正大噴火では姶良カルデラ域での地盤沈下が記録されている。これは天平宝字噴火、文明噴火時にも起きたと推定されている。またプリニー式の大噴火終了後は数十年から数百年間、噴火活動が低調な静穏期となるのも特徴のひとつである。 9世紀から15世紀前半にかけて、桜島の噴火記録は遺されていない。しかしこの間に950年頃に大平溶岩が噴出し、1200年頃に南岳の北側火口縁付近に側火山として中岳が形成されたことが確認されている。更に1946年には主に溶岩を噴出した昭和噴火があるが、いずれの噴火も規模が四大噴火よりも小さく、大噴火とは見なされていない。そして1955年以降は、山頂火口からの活発なブルカノ式噴火が続いている。 四大噴火のマグマ組成はそれぞれ明確な違いがみられる。天平宝字噴火では安山岩からデイサイト質。文明噴火は四大噴火の中で最も二酸化ケイ素の比率が高いデイサイト質のマグマが噴出した。その後の安永噴火、大正大噴火と二酸化ケイ素の比率が下がり、大正大噴火の溶岩は安山岩質である。 また新期南岳の活動は、古期南岳活動期よりもマグマの噴出率が高い。15世紀の文明噴火以降、大規模噴火の発生頻度が上がっているものとみられる。18世紀の安永噴火以降のマグマ噴出率は特に高く、近年の極めて活発な火山活動が桜島の特徴のひとつとなっている。 有史以来の桜島の溶岩流出噴火噴火の名称噴火年代(西暦)テフラ噴出量(km3)溶岩噴出量(km3)マグマ換算総噴出量(km3)天平宝字噴火764年-766年 0.1 0.84 0.88 大平溶岩950年頃 - 0.2 0.2 中岳形成1200年頃 - - - 文明噴火1471年-1476年 0.8 0.49 0.81 安永大噴火1779年-1782年 0.3 1.7 1.82 大正大噴火1914年-1915年 0.5 1.34 1.54 昭和噴火1946年 - 0.18 0.18
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