昭和噴火
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:24 UTC 版)
大正大噴火が終息した後約20年間は穏やかな状態となっていたが、1935年(昭和10年)9月、南岳東側山腹に新たな火口が形成され約1ヶ月間断続的に噴火を繰り返すようになった。1939年(昭和14年)10月の噴火において鍋山の上方海抜約800mに新噴火口が形成され 小規模な熱雲(火砕流)が観察されている。 1946年(昭和21年)1月から爆発が頻発するようになり、同年3月9日に火口から溶岩の流下が始まった。大正大噴火とは異なり、噴火前後の有感地震はほとんどなかった。3月11日夜から連続的に噴火するようになり、対岸の加治木町や国分町(後の霧島市国分)から火柱が観察されている。大量の火山灰を噴出し、牛根村(後の垂水市牛根)では、3 cmの厚さに降り積もった。火山灰の影響で、同年5月に持木・野尻地区で洪水が度々発生している。 溶岩流は鍋山付近で南北に分流し、北側は黒神地区の集落を埋めつつ、4月5日に海岸に達した。南側は有村地区を通過し、5月21日に海岸に達した。死者1名、火山噴出物総量は約1億立方mであった。この噴火は同年11月頃に終息したが、その後も散発的に噴火が起きている。
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