昭和噴火による被害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:00 UTC 版)
1935年(昭和10年)9月より小噴火を繰り返しており、1939年(昭和14年)には黒神に新しい火口ができるなど活発な動きを見せていた桜島であったが、1946年(昭和21年)1月頃より噴煙活動を開始し、3月10日に南岳の東側山腹で噴火が発生した。溶岩流は鍋山と権現山の間を抜け黒神河原に溶岩原を形成し、黒神の集落を埋め尽くして4月5日には海岸まで溶岩が到達し、海中に約2000メートル、最大幅2,000メートルにわたって溶岩が突入した。この溶岩の流出は5月25日まで続いた。 3月31日には分流した溶岩が有村海岸まで溶岩が到達し、溶岩は約1,000メートル程度海中に突入した。これによって有村は半滅の被害を受けた。また、この噴火によって送電線が切断され桜島全域が数か月にわたって停電した。
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