昭和天皇「御在位60年奉祝運動」の完遂と割腹自決
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1986年(昭和61年)10月、御在位60年奉祝運動もいよいよ佳境に入り、万場も再びこちらの方へ運動の力点を移動しはじめていた。10月27日には同志社大学で天皇陛下御在位60年奉祝学生式典を開催している。 昭和天皇の即位の礼から丁度60年目に当る11月10日、東京で天皇陛下御在位60年奉祝10万人銀座大パレード及び提灯行列が開催され、万場ら近畿ブロックのメンバーも上京し運営委員として参加した。提灯行列の解散後は、3万5千もの人々が各々提灯を手に皇居前広場に集まり、「万歳」を繰り返し奉唱したため、昭和天皇は二重橋まで出御、提灯で答礼を行った。 京都へ戻った万場らは、再び大学内での活動に取り組み、天皇陛下御在位60年奉祝学生式典を、大阪大学(12月1日)及び京都大学(12月15日)で開催。18日には残務処理を含めた奉祝運動の全ての日程を終了した。 12月20日早朝、万場は京都御苑の北東部の「母と子の森」の中で、御所の方向に座し自決を遂げた。割腹の上頚動脈を左右から切り、失血死していたという。学生服姿であった。享年22。家族や同志等に宛てた遺書、遺詠が発見されているが、両親に先立つ不孝を詫びながら、自らは皇室と祖国を護持せんとする強い意志を示していた。 万場は決して大言壮語するタイプではなく、自らの仕事を地道にコツコツとやり遂げる活動家であった。 なお、2008年(平成20年)現在、「母と子の森」には喫茶店なども建てられ開けた感じになっているが、当時は鬱蒼として中に入ると薄暗かった。
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