昭和天皇と蒼島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 22:44 UTC 版)
「蒼島暖地性植物群落」の記事における「昭和天皇と蒼島」の解説
蒼島の特異な植物相に対しては植物学に造詣が深い昭和天皇も興味を持っていたといい、1968年(昭和43年)に福井県で開催された第23回国民体育大会(国民体育大会)の行幸先候補のひとつに蒼島が選ばれ、昭和天皇の植物学研究の相談役であった京都大学の植物学者北村四郎から、福井県内の植物研究者として知られてた寒蝉義一(ひぐらしぎいち)へ打診が行われた。 これは同年6月25日に那須御用邸において那須の植物について昭和天皇へ進講した際、徳川義寛侍従長から北村に対し、同年秋に開催される福井県での国体行幸の際、蒼島の植物群落をご覧になりたい旨の相談があり、旧来の知人で会った福井県在住の植物学者の寒蝉に対し、蒼島の事前調査と下検分の依頼が行われた。蒼島は無人島であるため定期船はなく、島へ渡るには漁船などをチャーターする必要があり、寒蝉も10数年前に一度行ったきりであったという。 同年の8月7日、寒蝉は福井県の行幸啓本部係員と徳川侍従長を含む宮内庁関係者、京都から北村も駆け付けて、島へ渡船する御召艇、桟橋、島内の小径の補修など、下検分と打ち合わせが行われた。寒蝉はその前後の期間中を通して蒼島の資料作成のために様々な文献に当たり準備を進め、10月1に福井国体は開会された。昭和天皇が蒼島へ渡るのは10月4日の午後2時の予定であったが、福井県西部若狭地方は前日より天候が崩れはじめ、4日の当日は雨が降ったりやんだりの不安定な天候となり、徳川侍従長をはじめ、海上保安庁職員、気象台職員らがギリギリまで天候の様子をうかがったが、最終的に決行は困難ということになり、雨天時の代案として用意された、宿舎での説明に切り替えられた。 天皇皇后両陛下への説明は宿舎の小浜市青浜館の一室で行われ、蒼島の植物分布上の特色について採集された標本と写真等を使って説明が行われ、昭和天皇から寒蝉へ、周囲の暖流、冬季の積雪量などについて質問が寄せられるなど、大きな関心を持っていたといい、帰り際に徳川侍従長より「両陛下は御居室の窓から雨にかすんで見える蒼島をご覧になり、行かれなかったことを残念がっておられた」という話を聞いたという。
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