植物学研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/28 16:19 UTC 版)
1882年(明治15年)東京大学理学科選科に試験を経て入学し、矢田部良吉、松村任三、大久保三郎に植物学を学んだ。 1884年(明治17年)2月東京大学を中退し、3月日本発、6月ヴュルツブルクに到着し、ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルクに入学、ユリウス・フォン・ザックスに植物生理学を学び、「葉緑体の作用に就て」を発表、1886年(明治19年)7月7日試験に合格し、論文刊行に伴いDoctoris Philosophaeを取得した。 論文執筆後旅に出て、8月5日ミュンヘンを訪れ、森鷗外とフィンステルワルデル珈琲店を訪れ、13日賢者ナータンを観劇した。 1887年(明治20年)6月帰国し、6月14日、飯島魁に代わって学習院教授に就任し、麹町区一番町54番地の米倉一平名義の土地に住んだ。しかし、1890年(明治23年)8月12日学制改革に伴い非職となり、1893年(明治26年)8月9日依願退職した。
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