梁田蛻巌とは? わかりやすく解説

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やなだ‐ぜいがん【梁田蛻巌】

読み方:やなだぜいがん

[1672〜1757]江戸中期儒学者江戸の人。名は邦美(くによし)。字(あざな)は景(けいらん)。山崎闇斎師事朱子学学びまた、仏教・神道漢詩文にも通じていた。著「蛻巌集」など。


梁田蛻巌

読み方やなだ ぜいがん

江戸中期儒者武蔵生。勝秀の子。名は邦彦、のち邦美、字は景、亀毛と号する人見鶴山新井白石学び、また室鳩巣三宅観瀾らと親交があった。程朱の学を修め、詩も能くする宝暦7年(1757)歿、86才。

梁田蛻巖

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 05:31 UTC 版)

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梁田 蛻巖(やなだ ぜいがん、寛文12年1月24日1672年2月22日) - 宝暦7年7月17日1757年8月31日))は、江戸時代中期の漢詩人。名は邦美、字は景鸞、通称は才右衛門、蛻巖と号す。

生涯

旗本の家臣の家柄に生まれ、江戸で育つ。11歳で幕府の儒官であった人見竹洞に入門し、新井白石室鳩巣などと交流する。元禄6年(1693年)に加賀藩に儒者として仕えるがまもなく辞して、美濃の加納藩や播磨の明石藩に出仕した。晩年までには漢詩の大家として敬仰されるようになった。門下に江村北海・稲垣白嵓などがいる。明石で没する。享年86。墓は兵庫県明石市日富美町の本立寺にある。

漢詩

江村北海は、蛻巖の詩の中でも「徐文長の詠雪に和す」を「尖新にして精巧」と賞賛している[1]。蛻巖はたびたび詩風を変え、成唐の詩人たちや袁中郎、鍾惺、譚元春などの影響を受ける。「天縦の才あり而して力を極めて鍛錬」し、晩年にいたるまで思いを字句に潜め続けた[2]浅野長祚が『寒檠璅綴』の中で、好学の士のための必読書として『蛻巖集』を挙げている[3]中根香亭は、新井白石・室鳩巣・三宅観瀾の詩と蛻巖の詩を比較し、「蛻巖は一生不遇で他の三人が栄達したのに遠く及ばないが、その風流高逸の境地は三人の夢想だにできないところである」と評している[4]

著作

  • 梁田象水編『蛻巖集』4巻(寛保2年(1742年))
  • 『蛻巖先生答問書』3巻
  • 梁田忠山編『梁田蛻巖全集』

訳注

参考文献

  • 松下忠『江戸時代の詩風詩論』(明治書院、1972年)
  • 徳田武『江戸詩人傳』(ぺりかん社、1986年)
  • 江村北海『日本詩史』岩波文庫、復刊1988年、2005年
  • 浅野長祚『寒檠璅綴』(風俗繪巻圖畫刊行會、1919年)

脚注

  1. ^ 江村北海『日本詩史』岩波文庫、2005年、77p。
  2. ^ 江村北海『日本詩史』岩波文庫、2005年、105p。
  3. ^ 浅野梅堂『寒檠璅綴 巻之二』吉川弘文館、79p。
  4. ^ 中根香亭『香亭雅談』吉川弘文館、1920年、下・35p。



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