佐世保市との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/23 01:09 UTC 版)
佐世保市は基幹産業として佐世保重工業に大きく依存してきた。佐世保重工業の収益は佐世保市の歳入に大きく影響することから、後述する来島どっくによる再建策や原子力船「むつ」修理・改造受け入れなどを行政主導で推進している。 1959年(昭和34年)、佐世保市は初めて名誉市民表彰を行ったが、香港の海運会社「東方海外貨櫃航運公司」の董浩雲社長であった。長らく市制を執行した中田正輔や、佐世保市に縁がある代議士の北村徳太郎・山口喜久一郎を差し置いての授与である。昭和30年代序盤、倒産の危機にあった佐世保重工業に、董は大型貨物船「オリエンタル・ジャイアント」を発注した。オリエンタル・ジャイアントの受注によって、佐世保重工業は約束手形の発行を回避し、会社存続に成功した。この貢献により、佐世保市は董を最優先して名誉市民を授与したのである。 佐世保市初の共学私立高校である西海学園高等学校は、1925年(大正14年)の創立以来、「造船科」を設置していた。創立者の菅沼周次郎海軍退役少将は、佐世保海軍工廠の工員を養成することも建学の目的としていた。西海学園造船科が歴史を終えるのは、来島どっく傘下となった1980年(昭和55年)である。 佐世保重工業の雇用力は大きく、最盛期には通勤ルートのSSKバイパスが通勤者の車列で渋滞することもあった。近郊の人口も佐世保重工業の経営状態に大きく左右される。1958年(昭和33年)には市立琴平小学校の収容力が限界に達したため、市立御船小学校の新設が行われた。しかし、佐世保重工業の経営は悪化し、近郊の人口も減少に転じた。1994年(平成6年)、琴平小学校は閉校となり、御船小学校に統合されたうえ金比良小学校へと改名した。
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