テゲテイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/20 08:16 UTC 版)
「ミンガン (カンクリ部)」の記事における「テゲテイ」の解説
テゲテイは昭勇大将軍・貴赤親軍都指揮使司ダルガチの号を授かり、父ミンガンの後を継いだ。後にはトゥメン(万人隊長)に昇格となり、貴赤親軍の長官職は叔父のトデに任せて自らは中衛親軍都指揮使となり、最終的には銀青栄禄大夫・平章政事の地位にあった。 テゲテイにはブヤン・クリ(普顔忽里)とシャンジュ(善住)という息子がおり、ブヤン・クリは懐遠大将軍・貴赤親軍都指揮使司ダルガチの地位にあった。シャンジュは宿営(ケシク)に入った後、中書直省舍人・諸色人匠ダルガチを歴任し、奉議大夫・僉中衛親軍都指揮使司事の地位にあった。1328年(天暦元年)に「天暦の内乱」が勃発すると、シャンジュはエル・テムル率いる大都派につき、檀州の防御に活躍した。また、その後はノカイら11人の家人とともに遼王トクトの軍勢と戦ってこれを撃退し、84人の捕虜を得て帰還したため、エル・テムルより賞賛されたという。
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