ノカイ(趙世栄)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 09:30 UTC 版)
趙国宝が亡くなった時、その地位を次ぐべき息子のノカイ(趙世栄)は未だ幼かったため、代わりに趙国宝の弟の趙国安が兄の地位を受け継いだ。 しかし、趙国安はノカイが成長するとすぐに地位を譲り、ノカイは父・叔父の懐遠大将軍・蒙古漢軍元帥という地位を受け継いだ。その後、ノカイは安遠大将軍・吐蕃宣慰使議事都元帥という地位も得ているが、これはサンガ執政の時代のことで、サンガが政治的に対立する安西王家とアンチュル家を切り離そうとしたためであると考えられている。 14世紀初頭にはノカイは陝西行省の平省政事を務めていたが、同時期に弟の趙世延も四川行省の平省政事を務めており、アンチュル家は陝西・四川一帯に強い影響力を有していたことが伺える。しかし、1320年(延祐7年)にノカイは陝西行省の平省政事から中書省の平省政事に昇格となったが、一方で時の権力者テムデルと対立していた趙世延は獄につながれた。これ以後のノカイの動向については記録がない。
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