軍都ミュンデン
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ミュンデンは、軍都として18世紀前半に遡る長い伝統を有している。特に工兵の駐屯地であった。 1901年以降ハン・ミュンデンは、何度かの中断をはさみながら、工兵駐屯地が置かれていた。この年の10月1日に、それまでマインツ=カステル(現在はヴィースバーデン市内)にあった第11ヘッセン工兵大隊がノイミュンデンに新たに建設された兵舎に移転し、後に第11クアヘッセン工兵大隊と改名され、1918年までこの兵舎に駐屯した。1914年から1918年の戦争で第11工兵補充大隊が加わり、この大隊は戦時態勢の合計21,000規模に拡大した。戦後、1920年まではライヒ防衛隊第11工兵大隊がこれを引き継いだ。 1921年から1934年までの過渡期には、かつての工兵隊兵舎はヘッセン=ナッサウ警察学校の所在地となった。 1934年から1945年まで、現在のクアヘッセン=カゼルネ(クアヘッセン兵舎)と改名された地区には、初め第9工兵大隊が駐屯した。後にここから第29工兵大隊と第49工兵大隊が創設された。これらの部隊は、1935年10月からギムテ近郊のギムター・フェルトにあるグナイゼナウ兵舎(現在はニーダーザクセン警察の教育機関)も利用した。この兵舎の建設は1934年に始まっていた。ヴェーザー川沿いのギムター・アウエには水場の練兵場がある。戦争中、ミュンデン兵舎で前線投入のための工兵補充大隊(たとえば第29工兵補充大隊)が編成された。ミュンデンにおける工兵の伝統は1945年4月7日にアメリカ軍がこの街に入城したことで初めて終結した。 ドイツ連邦軍の創設に伴って、工兵が再びクアヘッセン兵舎に配置された。1956年から1958年まで、まず第5装甲工兵大隊が配置された。この大隊はその後第2工兵大隊 (PiBtl 2) と改称された。PiBtl 2の他、様々な名称の独立した中隊がこの駐屯地に置かれた。たとえば、1959年から1981年まで第50装甲工兵中隊が配属された。ドイツ連邦軍は、1993年3月31日に PiBtl 2 が最終的に解隊されるまで、この大隊をこの兵舎の中心部隊に置き続けた。これ以後空き地となった兵舎跡地は現在、フルダブリック住宅・産業用地と称し、利用されている。
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