軍閥としての成長とは? わかりやすく解説

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軍閥としての成長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 15:10 UTC 版)

アスト部」の記事における「軍閥としての成長」の解説

1307年にオルジェイトゥ・カーンが亡くなるとカイシャンがクルク・カーン(武宗)として帝位に即き、アスト・キプチャク・カンクリ衛の諸将側近として取り立てられ1309年至大2年)には初めて右アス衛(右衛阿速親軍都指揮使司)・左アス衛(同左衛)が設置された。しかし、クルク・カーンは即位後僅か4年にして崩御してしまい、次に即位したクルク・カーンの弟ブヤント・カーン(仁宗アユルバルワダ)は先帝側近粛正冷遇した上、クルク・カーンの遺児コシラトク・テムル)を地方飛ばして自らの息子シデバラ(後の英宗ゲゲーン・カーン)を皇太子としてしまった。仁宗英宗政権通じてアスト兵はかつての主君クルク・カーンの一族冷遇する朝廷に不満を募らせており(トガチの乱)、1323年起こった英宗弑逆事件南坡の変)の実行犯テクシ率いアス衛の兵であったシデバラ死後、一旦は遠縁イェスン・テムル泰定帝)がカーン即位したが、その死後遂にキプチャク・アスト兵はクルク・カーンの遺児擁立すべく決起した天暦の内乱)。この内乱で主導的立場にあったのはキプチャク指揮官エル・テムルであったが、その次に重要な立場にあったのがアス指揮官であったバヤンであったバヤンエル・テムル死後にウカート・カーン(順帝トゴン・テムル)を擁立して実権握り配下アス指揮官たちも要職についたバヤン権勢絶頂にあった1336年(後至元2年)、ローマ教皇ベネディクトゥス12世の下に「アラン人(=アス人)君侯たち」から使者派遣された。使者はウカート・カーンからの書簡アラン人君侯たちから書簡携えており、書簡には以下のように記されていた。 ベネディクトゥス12世トゴン・テムル書簡万能神の力において、諸皇帝皇帝の勅……また、これら我らの僕アラン人、そなたのキリスト教徒息子たちを、何卒よしなにお願いする同じくまた彼らが、陽の沈むところから我らに、馬その他の驚くべきものを持ち帰らんことを。カンバレクにて、鼠の年6月、月暦第3日(1336/7/11)。ベネディクトゥス12世アラン人君侯たちの書簡万能神の力において, ならびに我らが主皇帝誉れにおいて。我ら、フティム・イウエンス(Futim Juens)、カティケン・トゥンギイ(Caticen Tungii)、ゲムボガ・エウェンジ(Gemboga Evenzi)、イォアンネス・イゥッコイ(Ioannes Juckoy)、聖なる父、我ら主な教皇に、地に伏し、足に吻して、ご挨拶し、その祝福恩寵乞いかつまた、その聖なる祈籍において我ら記憶し決し忘れ給わぬことを。……それゆえ貌下、この度また今後、そなたからの確かな回答と貌下に相応し使者派遣し給わんことを。 彼らが嘘を吐いたとなれば、この地のキリスト教徒にとって非常なでありますゆえ。カンバレクにて、鼠の年6月、月暦第3日(1336/7/11)。 この「アラン人君侯たち」の要請に従ってローマ教皇から派遣されたのがジョヴァンニ・デ・マリニョーリで、マリニョーリ1342年7月18日にウカート・カーンに謁見して黒馬を献上し帰国後に編纂したボヘミア年代記』にこの時の経験断片的に記述している。マリニョーリは『ボヘミア年代記』で「東方帝国全体統べる3上の至高アラン人君侯たちは、名実共にキリスト教徒で、自ら教皇奴隷称しフランクのために死す用意がある」とまで述べるが、マリニョーリ到来漢文史料には「拂郎(フランク)国からの朝貢」としか扱われておらず、ローマ教皇対する辞の低い書簡使者派遣要請は「アラン人(=アス人)君侯たち」が自らの立場強化権勢誇示利用するためのものであった考えられている。 なお、ローマ教皇届けられ書簡で「アラン人君侯たち」の筆頭置かれる「フティム・イウエンス(Futim Juens)」は、元アス領主モンケ仕えたハンクス曾孫福定」に比定されている。

※この「軍閥としての成長」の解説は、「アスト部」の解説の一部です。
「軍閥としての成長」を含む「アスト部」の記事については、「アスト部」の概要を参照ください。

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