軍閥と政党(昭和時代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 16:32 UTC 版)
「政党の歴史」の記事における「軍閥と政党(昭和時代)」の解説
昭和時代においては、若槻禮次郎内閣、田中義一内閣、濱口雄幸内閣などにおいて、それぞれ立憲民政党、立憲政友会、立憲民政党を支持母体とした政党内閣が成立する。若槻・濱口内閣などは協調外交などを推進して戦争の道を進もうとする日本を何とか食い止めようとしたものの、経済政策の失敗や軍備縮小などにおいて軍部や国民の支持を得られず、最後は両内閣とも辞職に追い込まれた。田中内閣は昭和恐慌などの経済政策において成功を収めたが、中国外交で強硬外交を推進して戦争の道を歩むようになる。しかしこの田中内閣も陸軍の暴走を抑えることができず、最後は張作霖爆殺事件において陸軍の処罰を行わなかったために昭和天皇の信任を失って、辞職に追い込まれた。 二大政党の時代ではあったものの、昭和7年(1932年)5月15日犬養毅首相が暗殺され(五・一五事件)、戦前の政党内閣は終焉を告げたのである。犬養が暗殺されたのは、日本が孤立することを恐れて満州国の成立を承認しようとしなかったため、それに不満を持った軍部によって暗殺されたのである。そして、この事件や血盟団事件などによってテロにおびえた政治家は、以後は斎藤実などの軍人内閣によって組閣が行われるようになった。
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