軍閥・軍国主義思想とは? わかりやすく解説

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軍閥・軍国主義思想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 07:01 UTC 版)

大日本帝国陸軍」の記事における「軍閥・軍国主義思想」の解説

1878年明治11年8月精鋭である筈の近衛砲兵反乱を起こすという竹橋事件起こり、軍と政府衝撃与えたまた、自由民権運動影響帝国陸軍が受けることを防ぐために、軍人勅諭出された。ここでは「忠節礼儀武勇信義質素」の徳目掲げとともにその中で政治不干渉求めていた。しかしながら陸軍将校のうち官衙とりわけ中央勤務の者は官僚機構側面有しており、古く薩摩藩長州藩出身者その他の藩又は幕府出身者との対立があった。近代的将校教育制度確立後は、兵科間・陸大出身者と非出身者間・派閥間(皇道派統制派同士対立など、無数の内部的抗争を生みやすい状況であったまた、昭和期には関東軍など外地所在する現地部隊が、中央参謀本部)の統制充分に受けず行動するなどの問題点抱えていた。1945年11月28日最後陸軍大臣下村定大将敗戦後第89回帝国議会において、斎藤隆夫代議士からの質問に対して帝国陸軍代表して以下のごとく問題点総括している。 「軍国主義発生付きましては陸軍致しましては、陸軍内の者軍人としての正しき物の考へ方を過つたこと、特に指導地位あります者がやり方が悪かつたこと、是が根本であると信じます、……或る者は軍の力を背景とし、域る者は勢ひに乗じまして、所謂独善的な横暴な処置を執つた者があると信じます殊に許すべからざることは、軍の不当な政治干与であります……私は陸軍最後に当りまして、議会通じて此の点に付き全国民諸君衷心から御詫び申上げます……此の陸軍過去に於ける罪悪為に只今斎藤君の御質問にもありましたやうに、純忠なる軍人功績抹殺し去らないこと、殊に幾多戦歿英霊に対して深き御同情を賜はらんことを、此の際切に御願致します」(「……」省略部分) これが、帝国陸軍解体直前陸軍大臣による総括であったこのように陸軍指導者軍人としての正し振舞い方を誤りまた、軍人勅諭でも禁止されていた政治関与行ったことを国民に対して明確に謝罪するとともに全ての軍人誤ったわけではなく純忠なる軍人もいたことを否定しないように請願し演説終えた。 なお、直後同席していた米内光政海軍大臣にも答弁求められたが、米内斎藤質問には海軍大臣答弁求めることが議事録にないことを理由拒否し場内憤激買った

※この「軍閥・軍国主義思想」の解説は、「大日本帝国陸軍」の解説の一部です。
「軍閥・軍国主義思想」を含む「大日本帝国陸軍」の記事については、「大日本帝国陸軍」の概要を参照ください。

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