広島市に対する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/06 17:22 UTC 版)
「2009年の原爆忌における田母神俊雄講演会問題」の記事における「広島市に対する批判」の解説
産経新聞の古森義久はこの騒動に対し、秋葉忠利広島市長が長年(秋葉が2002年にアメリカン大学でのパネルディスカッションで米国の核のみを批判した例を挙げ)、核廃絶を主張する際にほとんど中露、イラク、北朝鮮には触れず、アメリカの核だけを廃絶の対象にあげてきたとし、日本の反核運動は左翼による政治的に偏った運動が顕著だった歴史があると主張し、それがこの騒ぎの背景にあるとしている。 また日本会議地方議員連盟のブログ『草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN』は田母神の講演を原爆忌に広島で開催したことによって、秋葉市長の2009年の平和宣言の中で「核実験を強行した北朝鮮等、全ての国における核兵器取得・配備の即時停止」と北朝鮮に言及した事に対し、「広島平和宣言を変えさせた田母神講演会」と賞賛している。それによれば「(広島の平和宣言において)これまで、中国や北朝鮮の核開発を一切批判してきませんでした。そうした「ヒロシマ」の平和行政に異議申し立てをした日本会議広島の問題提起に対して、今回、広島の秋葉市長は自らの平和宣言において初めて北朝鮮の核実験について言及しました。日本会議広島の意見に秋葉市長は屈したわけです。もちろん、秋葉市長の広島宣言は、問題箇所満載です。しかし、社会主義勢力の核は善とする彼ら反戦平和運動のイデオロギーの破綻を認めさせたという意味で、今回の日本会議広島の戦いは、大きな成果があったといえましょう」などと、田母神を評価した。 ただし、冷戦期の平和宣言では米ソを中心とした批判もしており、核保有五大国への批判時には中国も名前をあげて抗議、批判している。また、北朝鮮も田母神講演以前の2003年~2005年の平和宣言で名前をあげており、一切批判してこなかったというのは事実に反するが、北朝鮮核保有宣言後の2006年、核実験後の2007から2008年の平和宣言では北朝鮮には言及せずに、2007年、2008年では米国のみを名指しで批判しており、これについてはマスコミからも秋葉は批判されている。
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