広島市と長崎市での被爆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 22:47 UTC 版)
1945年5月、山口は同年8月7日までの予定で広島の造船所に出張する。8月6日に広島市に原爆が投下されたとき、彊は職場への通勤途中であり、爆心地から約3キロメートルの広島電鉄江波線江波電停にいた ところ、被爆した。この被爆で彼は左鼓膜が破れ、左上半身に大やけどを負った。彊は妻と子供に会うため、国鉄山陽本線己斐駅から翌日の救援列車に乗って長崎へ帰った。 8月9日、長崎市に原爆が投下され、長崎三菱造船の事務所で再び被爆する。妻と子供も原爆の後遺症とみられる癌のため、2005年に息子が、2008年に妻がそれぞれ亡くなった。
※この「広島市と長崎市での被爆」の解説は、「山口彊」の解説の一部です。
「広島市と長崎市での被爆」を含む「山口彊」の記事については、「山口彊」の概要を参照ください。
- 広島市と長崎市での被爆のページへのリンク