広島市の歌碑とは? わかりやすく解説

広島市の歌碑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 08:18 UTC 版)

みなと (唱歌)」の記事における「広島市の歌碑」の解説

1973年昭和48年)に全日本海員組合宮城伸三が広島赴任してきた時に、ある老人の話「みなとは宇品歌った歌である」を聞き調査行った結果宇品の歌である事を確信作者も、作詞旗野十一郎、作曲吉田信太補作詞林柳波であることが明らかになった。また、本土と元宇品結んでいる暁橋通称めがね橋)から見た風景歌っていることもわかった。 そして、1975年昭和50年7月21日宇品中央公園(元陸軍船舶司令部跡地)に歌碑建てられた。形は船の煙突模した物になり、正面置かれる錨は内外運輸(現・シーゲートコーポレーション)が寄贈宇品小学校宇品東小学校・元宇品小学校当時4年生が、1人1文字ずつ歌詞書き当時広島県知事当時広島港港湾管理者でもある)の宮澤弘が、タイトルの「港」の文字書いたその後広島市内の防災無線正午毎日流されるようになったまた、広島市広報資料などでも取り上げられている。

※この「広島市の歌碑」の解説は、「みなと (唱歌)」の解説の一部です。
「広島市の歌碑」を含む「みなと (唱歌)」の記事については、「みなと (唱歌)」の概要を参照ください。

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