広島市の歌碑
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1973年(昭和48年)に全日本海員組合の宮城伸三が広島に赴任してきた時に、ある老人の話「みなとは宇品を歌った歌である」を聞き、調査を行った結果宇品の歌である事を確信。作者も、作詞旗野十一郎、作曲吉田信太、補作詞林柳波であることが明らかになった。また、本土と元宇品を結んでいる暁橋(通称・めがね橋)から見た風景を歌っていることもわかった。 そして、1975年(昭和50年)7月21日に宇品中央公園(元陸軍船舶司令部跡地)に歌碑が建てられた。形は船の煙突を模した物になり、正面に置かれる錨は内外運輸(現・シーゲートコーポレーション)が寄贈。宇品小学校・宇品東小学校・元宇品小学校の当時4年生が、1人1文字ずつ歌詞を書き、当時の広島県知事(当時の広島港の港湾管理者でもある)の宮澤弘が、タイトルの「港」の文字を書いた。 その後、広島市内の防災無線で正午に毎日流されるようになった。また、広島市の広報資料などでも取り上げられている。
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