最後の攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 15:11 UTC 版)
「ユーゴスラビア人民解放戦争」の記事における「最後の攻勢」の解説
5月2日、ドイツの首都ベルリンが赤軍の手に落ちた。1945年5月8日、ドイツ軍は無条件降伏し、ヨーロッパでの戦争は公式には終結した。イタリアは1943年に、ブルガリアは1944年に、ハンガリーは1945年初頭に既に枢軸を離脱していた。しかしその後もユーゴスラビアでは散発的な戦闘が続いた。5月7日にパルティザンはザグレブに到達、5月9日にはマリボルとリュブリャナを確保し、ドイツ軍のE軍集団を率いるアレクサンダー・レーア将軍は1945年5月9日、スロベニア・ヴェレニエ近くのトポルシツァ(英語版)にて、指揮下のすべての戦力の降伏に調印した。その後にはクロアチア人やその他の反パルティザン勢力のみが残されていた。 5月10日から15日にかけて、ユーゴスラビア人民解放軍(パルティザン)はクロアチアやその他の反パルティザン勢力の抵抗に対応しなければならなかった。ポリャナの戦い(英語版)はヨーロッパにおける第二次世界大戦で最後の戦闘であった。この戦いは1945年5月14日から15日にかけて、スロベニア・プレヴァリェ近くのポリャナ(英語版)にて発生した。パルティザンと対峙したのはドイツ陸軍、クロアチア独立国軍(ウスタシャ民兵およびクロアチア郷土防衛隊)、スロベニア郷土防衛隊(英語版)(ドモブランツィ)やその他の反パルティザン勢力から成る混成の集団であり、オーストリアへの退却の途中であった。
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