人民戦線最後の攻勢と内戦の終結とは? わかりやすく解説

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人民戦線最後の攻勢と内戦の終結

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 07:50 UTC 版)

スペイン内戦」の記事における「人民戦線最後の攻勢と内戦の終結」の解説

1938年7月25日共和派南北分断され支配地域回復しようと、エブロ川周辺大攻勢に出る(エブロ川の戦い英語版))。内戦天王山となったこの戦いで共和国軍は約10万人を動員して総力結集したことにより、緒戦大きく前進したが、反乱軍が独伊の支援含めた増援送り込んだことによって戦線膠着状態となり、やがて共和国軍ずるずる後退11月16日壊走した。約3ヶ月続いた戦闘最終的に両軍ともに甚大な打撃受けたが、共和国軍反乱軍の約2倍の死者出し戦力消耗し尽くしたことで組織的戦闘実質的に終了反乱軍勝利決定的となった1938年12月より、フランコ30軍勢カタルーニャ攻撃、翌1939年1月末に州都バルセロナ陥落させた。人民戦線支持する多く市民が、冬のピレネー山脈越えてフランス逃れた2月末にはイギリスフランスフランコ政権国家承認し、アサーニャ大統領辞任人民戦線政府フランス亡命したフランコ側は3月内戦最終的勝利を目指しマドリード進撃開始、それに対して共和派徹底抗戦目指す共産党と、もはや戦意喪失したアナーキスト内紛発生するなど四分五裂の状態に陥って瓦解した3月28日にはマドリード陥落フランコ軍が市内進駐3月29日フランコが「内戦終結した」旨のラジオ放送を行う。この放送直後にはカルタヘナフランコ軍に占領された。3月31日にはスペイン全土反乱軍制圧され4月1日フランコによって内戦終結勝利宣言された。

※この「人民戦線最後の攻勢と内戦の終結」の解説は、「スペイン内戦」の解説の一部です。
「人民戦線最後の攻勢と内戦の終結」を含む「スペイン内戦」の記事については、「スペイン内戦」の概要を参照ください。

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