人民服の設計者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 07:32 UTC 版)
この服装の設計者が誰かについては諸説あるが、一般的には孫文(孫中山)がこの服をデザインしたと考えられており、それゆえに中国では「中山装」と呼ばれている。孫文がデザインしたという説においては、孫文が日本留学中に日本の学生服や日本陸軍の軍服をモデルにデザインしたという説、孫文が上海にいたころに軍装を改良してデザインしたという説 や、孫文がベトナム・ハノイにいたころに黄隆生(ハノイにおける興中会の中心人物で、洋服屋)とともにデザインしたという説 などがある。 孫文の軍事顧問だった日本陸軍軍人佐々木到一が考案したものであるという説もある。この説の出典は、国立国会図書館の調査によると『高見順全集 第14巻』p.450佐々木到一著「ある軍人の自伝」の書評とである。
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