最後の抵抗、ケイツビーの死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 17:17 UTC 版)
「火薬陰謀事件」の記事における「最後の抵抗、ケイツビーの死」の解説
11月6日、まだフォークスが沈黙を守っている中、逃亡者たちはウォリック城を襲撃して物資を調達し、さらにノーブルックに赴きグラントが用意していた武器を回収した。そこからハディントンへと向かい、その道中でケイツビーはコートン・コート(英語版)にいるガーネット神父や他の神父たちに、事の次第を伝え、カトリックの支持が強いとされるウェールズでの挙兵に協力することを要請する手紙を書いてベイツに届けさせた。手紙を読んだガーネットは、ケイツビーの思惑に反して、彼とその仲間たちに「邪悪な行為」を止め、教皇の説教に耳を傾けるよう懇願した。そして即座に逃亡生活に入り、これは結果としてガーネットらイエズス会の神父らが当局の捜査から数か月逃れられることに繋がった(何名かの神父は仲間の行く末を案じてウォリックに向かったが捕まり、ロンドンで投獄された)。午後2時頃、ハディントンに到着したケイツビーらをトマス・ウィンターが出迎えた。彼らの家族や友人らも含め、道行き出会った者たちは反逆罪に問われる恐怖から、彼らに実質的に何の支持も同情も与えなかった。 11月7日早朝、仲間たちはハディントンにて告解を行い、聖餐式に臨んだ。主要メンバーと支援者、そしてディグビー率いる狩猟隊を含めた一味の数は、この時点で36名にまで数を減らしていた。降り止まぬ雨の中で彼らはヘウェル・グランジ(英語版)にあるウィンザー卿の空き家で武器や弾薬、資金を手に入れた。未だ彼らが期待していた大規模な反乱の目論見は、地元民の反応によって打ち砕かれた。彼らは、反乱者たちの「神と国」のためという意見に対し、「神と国だけではなくジェームズ王も支持している」と答えた。一行は、支持者であるスティーブン・リトルトンが所有するスタフォードシャーとの州境にあるホルベッチ・ハウス(英語版)に向かった。一方でトマス・ウィンターとリトルトンは別行動を取り、ジョン・タルボット卿の支援を得るべくシュロップシャーの邸宅ペッパーヒルを訪れたが無駄に終わった。ケイツビーらは午後10時頃にホルベッチ・ハウスに到着し、疲労と絶望感に苛まれる中で、ヘウェル・グランジで奪うも湿っていた火薬の一部を火の前に広げて乾かし始めた。火薬は物理的に圧力をかけないと爆発はしないが、火の粉が火薬にかかった瞬間、火柱が立ち、炎がケイツビー、ルックウッド、グラント、そしてモーガン(狩猟隊の一員)の4人を飲み込んだ。 トマス・ウィンターとリトルトンはホルベッチ・ハウスに向かう途中で、使者からケイツビーが死んだと知らされた。ここでリトルトンは逃亡して姿を消したが、トマスが家に駆けつけるとケイツビーは火傷を負っていたが生きていた。不運なグラントは炎で失明していた。ディグビー、ロバート・ウィンターとその異母兄弟のジョン、トマス・ベイツは去っていた。主要メンバーの中で残っていたのは、火傷で重傷を負ったケイツビーとグラント、ライト兄弟、ルックウッド、パーシーだけであった。彼らはこのままここに留まり、王の追跡者たちを迎え撃つ決意を固めた。 11月8日の朝、ウスターシャーの州長官リチャード・ウォルシュ(英語版)率いる200人の部隊がホルベッチ・ハウスを包囲した。トマス・ウィンターは中庭を横切るときに肩を撃たれた。ジョン・ライトが撃たれ、続いて彼の弟、そしてルックウッドが撃たれた。逸話によれば、ケイツビーとパーシーはラッキーショットによって1発で仕留められたという。部隊は敷地内に突入し、敵側の死んだ者や瀕死の者の服を剥ぎ取った(この際にまだ息があったライト兄弟が死亡)。戦闘後、生きていたウィンター、ルックウッド、グラント、モーガンの4人が逮捕された。
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