「ヴァルキューレ」作戦発動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 07:05 UTC 版)
「7月20日事件」の記事における「「ヴァルキューレ」作戦発動」の解説
午後1時13分頃、シュタウフェンベルク大佐とヘフテン中尉は、ヒトラー死亡を確信しつつ、ベルリンへ飛び立った。その頃、暗殺計画に加わっていた陸軍通信部隊司令官フェルギーベル大将は爆発現場に居て、ヒトラーが生存していることに気付く。彼は総統大本営から外部への通信を遮断し、間接的表現ながら、ヒトラー生存を伝えた。爆発は当初、ソ連軍機が低空から爆弾投下したのが原因と考えられていたが、やがて会議に参加していたはずの、シュタウフェンベルクの姿が爆発後見えず、爆発前の奇妙な行動から、彼が犯人と把握され、ヒトラーはSS長官であるヒムラーに事件の調査とシュタウフェンベルク逮捕を命じ、自らは来訪するムッソリーニとの会談に臨んだ。実行犯2人がベルリンへ飛行中の約3時間、連絡を交わす事は不可能で、その間、通信管制下の総統大本営からの情報も曖昧で断片的なものだったため、ベルリンにいた反乱派は、「ヴァルキューレ」作戦を発動するかどうか判断に迷った。軍の部隊を召集し展開させるには一定の時間が必要で、発動が遅れればそれだけ、クーデターが不利になるのは確実だった。 午後3時50分頃、2人が到着する前に、アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム大佐が、「ヴァルキューレ」発動を各軍管区にテレタイプで発令していた。命令にはヴィッツレーベン元帥が署名、総統の死亡と非常事態宣言、彼が国防軍総司令官になった旨伝えていた。午後4時頃、ベルリンの飛行場に到着したシュタウフェンベルクは、オルブリヒトに爆発成功を連絡。オルブリヒトは国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム上級大将にヒトラー死亡を伝え、「ヴァルキューレ」発動を求めた。しかし、フロムが総統大本営のカイテル元帥に連絡すると、彼はヒトラー生存を伝え、更にシュタウフェンベルクの居所を追及した。それに対しフロムは「シュタウフェンベルクはまだ帰ってきていない」と回答。カイテルとの連絡後、フロムはオルブリヒトに「ヴァルキューレ」発動の必要無し、と告げた。
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