ベルリン・ベントラー街:クーデター
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「クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の記事における「ベルリン・ベントラー街:クーデター」の解説
ベルリン・ベントラー街にも事件の報はあったが、ヒトラー死亡と生存の報が両方流れ、混乱した。オルブリヒト大将は動揺し、ひとまず「ヴァルキューレ作戦」は発動しない事とした。そして何事もなかったかのように昼食を取りに行った。しかしオルブリヒトの副官フォン・クイルンハイム大佐は我慢できず、14時前に独断で幾つかの緊急命令を発している。 15時45分頃、フォン・シュタウフェンベルクとフォン・ヘフテン中尉を乗せたハインケルHe111がベルリン南方のラングスドルフ飛行場に着陸した。二人はベントラー街の国内予備軍のオルブリヒト大将に電話してヒトラーの死を伝えた。フォン・シュタウフェンベルクは「ヴァルキューレ作戦」の発動の遅さに驚き、周りも気にせず「ヒトラーは死んだ!」と電話口で怒鳴りつけた。 オルブリヒト大将は「ヴァルキューレ作戦」発動を決意したが、この時は7月15日と違いフロム上級大将がベルリンにいたため、フロムの許可が必要であった。オルブリヒトはフロムにヒトラーの死を報告し、「ヴァルキューレ作戦」の発動を具申した。しかしフロムはヒトラーの死に懐疑的であり、すぐに「狼の巣」のカイテル元帥と連絡を取った。カイテルからヒトラーの生存を告げられたフロムは「ヴァルキューレ作戦」発動命令書への署名を拒否した。オルブリヒトも煮えきらない態度であったため、オルブリヒトの副官フォン・クイルンハイムがフロムにもオルブリヒトにも独断で16時少し前に「ヴァルキューレ作戦」を発動した。 全軍管区、国内予備軍に「ヴァルキューレ」のキーワードが送られた。また付随して「総統逝去。前線も知らず、良心のかけらもない党幹部のゴロツキが、この状況を利用して、激戦の最中にある前線部隊の背後に襲いかかり、私利私欲で政権を奪おうとしている。このような国家存亡の危機にあたり、政府は法と秩序を維持するために戒厳令を敷くとともに、国防軍の指揮権を小官にゆだねた」というエルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン元帥名義のテレタイプも送られた。 フォン・シュタウフェンベルクたちも車でベルリンのベントラー街へ向かい、16時30分頃には到着した。フォン・シュタウフェンベルクはすぐにフロム上級大将の下へいき、クーデターグループに加わるよう説得に当ったが、フロムはなおもカイテルのヒトラー生存説をたてに、クーデターへの協力を頑強に拒否する。また独断で「ヴァルキューレ作戦」を発動された事に怒り、フォン・シュタウフェンベルクに自決を命じた。自決を拒否するとフロムは更に激怒し、彼に殴りかかろうとしたが、フォン・ヘフテン中尉らがすぐにフロムに拳銃を突きつけて牽制した。フォン・シュタウフェンベルクはフロムを司令部内の一室に監禁するよう命じた。フロムは「この状況では、俺はお払い箱のようだな」と履き捨てるように口にしただけで大人しく監禁された。しかし内心では部下に屈辱的な扱いを受けたことに怒りを煮えたぎらせていた。クーデター・グループはエーリヒ・ヘプナー退役上級大将を新しい「国内予備軍司令官」に据えた。 一方クーデタ後に国家元首に就任する予定だったルートヴィヒ・ベック退役上級大将が17時にベントラー街に現れた。ベックはヒトラー暗殺の成否が分からない事を告げられても動じず、「私にとって、あの男は死んだ。私のこれからの行動を決めるのは、この一点である。我々はこの路線を外してはならない。そうしないと、味方の陣営も混乱に陥れてしまう」と答えたという。 作戦発動の後、総統大本営からヒトラーの生存を伝える情報が出された。相反する二つの命令を受けた各地の軍部隊は混乱し、国内予備軍へ問い合わせが殺到する。フォン・シュタウフェンベルクらは、電話でその説明に追われた。途中、ヒムラーの命を受けたゲシュタポ将校フンベルト・アッハマー=ピフラーダー(de:Humbert Achamer-Pifrader)親衛隊上級大佐がフォン・シュタウフェンベルクの逮捕に現れたが、フォン・シュタウフェンベルクは逆に彼を逮捕させた。後で取引に使えると考えて殺害はしなかった。 ベルリン防衛軍司令官パウル・フォン・ハーゼ中将もクーデターグループであり、彼はオットー・エルンスト・レーマー少佐に三個中隊を指揮してベルリン中央官庁街を占拠するよう命じた。ゲッベルスの宣伝省や公邸も包囲された。この日、ベルリンにいたナチ党の大物はヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相のみであった。ゲッベルスはレーマー少佐をフォン・ハーゼ中将から引き離すため、19時から20時にかけてレーマーをゲーリング通りの自分の屋敷に招集して、ヒトラーと電話で直接話をさせた。ヒトラーは新しい国内予備軍司令官に任じた親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーがベルリンに到着するまで、レーマー少佐を自分の直属でベルリンの反乱鎮圧の全権とするとした。総統命令に基づきレーマーはただちに中央官庁街の封鎖を解除し、逆にフォン・ハーゼのベルリン防衛軍司令部を包囲した。これにより情勢は逆転した。 ベントラー街の空気も悪くなりはじめた。中央官庁街もラジオ局も抑えられず、ベルリン防衛軍司令官フォン・ハーゼ中将はゲシュタポにより逮捕されてしまった。クーデター後に軍の最高司令官になる予定だったフォン・ヴィッツレーベン元帥はクーデター派の情勢の悪化を悟り、日和見になり始めた。彼はフォン・シュタウフェンベルクとベックを罵り、「我々は帰営する!」と宣言してベントラー街から出て行った。フォン・シュタウフェンベルクの周りには、ベック退役上級大将、オルブリヒト大将、フォン・クイルンハイム大佐、フォン・ヘフテン中尉など投降しない覚悟を決めた人たちだけが残った。クーデターと知らず「ヴァルキューレ作戦」に従って行動していたベントラー街の将校・兵士たちも徐々にこれがクーデターである事に気付き始め、怪しげな指令を出しているフォン・シュタウフェンベルクたちに不信感を募らせた。ヒトラー生存説がベントラー街に広まるにつれ、ベントラー街の将校たちは反逆者の一味になる事を避けようと、フォン・シュタウフェンベルクらに対する対抗勢力を作りはじめた。監禁されているフロムも彼らと連絡を取ろうとした。 そして22時半すぎ、オルブリヒト大将がベントラー街内の反クーデター派の将校たちにより拘束され、そこへフォン・シュタウフェンベルク大佐らクーデター派が現れたことでクーデター派と反クーデター派と銃撃戦となった。この銃撃戦でフォン・シュタウフェンベルクは残った左腕に重傷を負う。結局、反クーデター派が勝利し、フォン・シュタウフェンベルクらクーデター派は逮捕された。監禁されていたフロムは反クーデター派により解放された。
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