ベルリン・ベントラー街:クーデターとは? わかりやすく解説

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ベルリン・ベントラー街:クーデター

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 01:46 UTC 版)

クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の記事における「ベルリン・ベントラー街:クーデター」の解説

ベルリン・ベントラー街にも事件の報はあったが、ヒトラー死亡生存の報が両方流れ混乱した。オルブリヒト大将動揺しひとまずヴァルキューレ作戦」は発動しない事とした。そして何事もなかったかのように昼食取り行った。しかしオルブリヒトの副官フォン・クイルンハイム大佐我慢できず、14時前に独断幾つかの緊急命令発している。 15時45分頃、フォン・シュタウフェンベルクとフォン・ヘフテン中尉乗せたハインケルHe111ベルリン南方ラングスドルフ飛行場着陸した二人はベントラー街の国内予備軍のオルブリヒト大将電話してヒトラーの死伝えた。フォン・シュタウフェンベルクは「ヴァルキューレ作戦」の発動遅さ驚き周り気にせずヒトラー死んだ!」と電話口怒鳴りつけた。 オルブリヒト大将は「ヴァルキューレ作戦発動決意したが、この時は7月15日違いフロム上級大将ベルリンにいたため、フロム許可が必要であった。オルブリヒトはフロムヒトラーの死報告し、「ヴァルキューレ作戦」の発動具申した。しかしフロムヒトラーの死懐疑的であり、すぐに「狼の巣」のカイテル元帥連絡取ったカイテルからヒトラー生存告げられフロムは「ヴァルキューレ作戦発動命令書への署名拒否した。オルブリヒトも煮えきらない態度であったため、オルブリヒトの副官フォン・クイルンハイムがフロムにもオルブリヒトにも独断16時少し前にヴァルキューレ作戦」を発動した。 全軍管区国内予備軍に「ヴァルキューレ」のキーワードが送られた。また付随して総統逝去前線知らず良心のかけらもない党幹部ゴロツキが、この状況利用して激戦最中にある前線部隊背後襲いかかり、私利私欲政権奪おうとしている。このような国家存亡の危機にあたり政府法と秩序維持するために戒厳令を敷くとともに国防軍の指揮小官ゆだねた」というエルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン元帥名義テレタイプ送られた。 フォン・シュタウフェンベルクたちも車でベルリンのベントラー街へ向かい16時30分頃には到着した。フォン・シュタウフェンベルクはすぐにフロム上級大将の下へいき、クーデターグループに加わるよう説得に当ったが、フロムはなおもカイテルヒトラー生存説をたてに、クーデターへの協力頑強に拒否する。また独断で「ヴァルキューレ作戦」を発動された事に怒り、フォン・シュタウフェンベルクに自決命じた自決拒否するフロムは更に激怒し彼に殴りかかろうとしたが、フォン・ヘフテン中尉らがすぐにフロム拳銃突きつけ牽制した。フォン・シュタウフェンベルクはフロム司令部内の一室監禁するよう命じたフロムは「この状況では、俺はお払い箱のようだな」と履き捨てるように口にしただけで大人しく監禁された。しかし内心では部下屈辱的な扱い受けたことに怒り煮えたぎらせていた。クーデター・グループはエーリヒ・ヘプナー退役上級大将新しい「国内予備軍司令官」に据えた一方クーデタ後に国家元首就任する予定だったルートヴィヒ・ベック退役上級大将17時にベントラー街に現れた。ベックヒトラー暗殺成否分からない事を告げられても動じず、「私にとって、あの男死んだ。私のこれから行動決めるのは、この一点である。我々はこの路線外してならないそうしないと、味方陣営混乱に陥れてしまう」と答えたという。 作戦発動の後、総統大本営からヒトラー生存伝え情報出された。相反する二つ命令受けた各地軍部隊は混乱し国内予備軍問い合わせ殺到する。フォン・シュタウフェンベルクらは、電話でその説明追われた。途中ヒムラーの命を受けたゲシュタポ将校フンベルト・アッハマー=ピフラーダー(de:Humbert Achamer-Pifrader)親衛隊上級大佐がフォン・シュタウフェンベルクの逮捕現れたが、フォン・シュタウフェンベルクは逆に彼を逮捕させた。後で取引使える考えて殺害はしなかった。 ベルリン防衛軍司令官パウル・フォン・ハーゼ中将もクーデターグループであり、彼はオットー・エルンスト・レーマー少佐三個中隊指揮してベルリン中央官庁街を占拠するよう命じたゲッベルス宣伝省公邸包囲された。この日、ベルリンにいたナチ党大物ヨーゼフ・ゲッベルス宣伝相のみであったゲッベルスレーマー少佐をフォン・ハーゼ中将から引き離すため、19時から20時にかけてレーマーゲーリング通り自分屋敷招集して、ヒトラー電話直接話をさせた。ヒトラー新し国内予備軍司令官任じた親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーベルリン到着するまで、レーマー少佐自分直属ベルリン反乱鎮圧全権とするとした。総統命令に基づきレーマーはただちに中央官庁街の封鎖解除し逆にフォン・ハーゼのベルリン防衛軍司令部包囲した。これにより情勢逆転した。 ベントラー街の空気悪くなりはじめた中央官庁街もラジオ局抑えられず、ベルリン防衛軍司令官フォン・ハーゼ中将ゲシュタポにより逮捕されてしまった。クーデター後に軍の最高司令官になる予定だったフォン・ヴィッツレーベン元帥クーデター派情勢悪化悟り日和見になり始めた。彼はフォン・シュタウフェンベルクとベック罵り、「我々は帰営する!」と宣言してベントラー街から出て行った。フォン・シュタウフェンベルクの周りには、ベック退役上級大将、オルブリヒト大将、フォン・クイルンハイム大佐、フォン・ヘフテン中尉など投降しない覚悟決めた人たちだけが残ったクーデター知らずヴァルキューレ作戦に従って行動していたベントラー街の将校兵士たち徐々にこれがクーデターである事に気付き始め怪しげ指令出しているフォン・シュタウフェンベルクたちに不信感募らせた。ヒトラー生存説がベントラー街に広まるにつれ、ベントラー街の将校たちは反逆者一味になる事を避けようと、フォン・シュタウフェンベルクらに対す対抗勢力作りはじめた監禁されているフロムも彼らと連絡取ろうとした。 そして22時半すぎ、オルブリヒト大将がベントラー街内のクーデター派将校たちにより拘束され、そこへフォン・シュタウフェンベルク大佐クーデター派現れたことでクーデター派と反クーデター派銃撃戦となった。この銃撃戦でフォン・シュタウフェンベルクは残った左腕重傷を負う。結局、反クーデター派勝利し、フォン・シュタウフェンベルクらクーデター派逮捕された。監禁されていたフロムは反クーデター派により解放された。

※この「ベルリン・ベントラー街:クーデター」の解説は、「クラウス・フォン・シュタウフェンベルク」の解説の一部です。
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