ベルリン・ローマ枢軸とは? わかりやすく解説

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ベルリンローマ‐すうじく〔‐スウヂク〕【ベルリンローマ枢軸】


ベルリン・ローマ枢軸

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ベルリン・ローマ枢軸

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枢軸国」の記事における「ベルリン・ローマ枢軸」の解説

1935年イタリア王国エチオピア侵攻第二次エチオピア戦争)すると、イタリア王国国際社会から激しく非難された。オーストリア合邦アンシュルス)のためにイタリアとの両国関係改善望んでいたヒトラーは、この期両国の関係を改善しよう動き出した1936年9月ドイツ無任所相ハンス・フランクイタリア派遣しベニート・ムッソリーニ首相の訪独を要請した。しかしムッソリーニ外相ガレアッツォ・チャーノを訪独させると発言したとどまり自身の訪独は明言しなかった。10月にチャーノ外相は訪独し、ヒトラー会談した。この会談はいくつかの合意が行われたが、条約協定結ばれたわけではなく、特に重要な関係が成立したわけではなかった。 しかしチャーノが帰国すると、ムッソリーニ次のような声明出したチアノ外相ベルリン訪問によって、多く問題について独伊両国間に諒解成立したが、そのうち若干現下国際情勢において特に重要なのである。このドイツイタリヤを結ぶ絆、ローマベルリン線は他国隔て隔壁ではない。協調と平和の意志を持つすべてのヨーロッパ諸国が、その周りを回ることができる枢軸である。 — 児島襄訳、第二次世界大戦 ヒトラー戦い 文春文庫1巻 P497 この後、「ローマ・ベルリン枢軸」という言葉両国の関係を表す言葉として世界浸透した。この発言ヒトラーは、実態のない合意大げさ見せムッソリーニパフォーマンス見ていた。翌1937年9月にはムッソリーニの訪独が行われ、両国協調関係が強まるにつれ、枢軸の語は広く使われるようになった1938年3月オーストリア併合後、5月ヒトラーイタリア訪問した。すでにドイツ優勢は明らかであり、各国新聞呼称も「ベルリン・ローマ枢軸」と改められた。1939年5月22日には条約結ばれ両国協力関係軍事同盟発展した。この条約通称鋼鉄協約』と呼ばれる日本について 日本1936年 11月国際政治上の実体効果はともかくとして日独防共協定を結び、さらに1937年 11月日独伊防共協定成立によって、日独伊3国の関係についてローマ・ベルリン・東京枢軸という言葉生れとされる防共協定成立当初は、英・仏との外交関係への配慮から防共強調されていたようだが、満州国問題国際連盟からの脱退国際社会孤立深めていた日本にとって独伊両国数少ない友好国であったまた、国際政治上は現状維持指向する英仏対し"持たざる国"として武力による領土拡大目指す傾向加え、さらに国内政治上は大正デモクラシー時代終わり、反民主主義・反自由主義傾向強めつつある日本は独伊と体制的にも近い国と、互いにあるいは国際的にもみなされるようになった1937年日独伊防共協定成立時都内でそれを祝う提灯行列起きたとされるが、1938年12月にはラジオ番組中の「大建設の歌」〈柴野為亥知作詞〉の中で「防共東西一に枢軸今や厳たり」と唄われ、その意識は相当程度広められていたと考えられる。これは、多少紆余曲折はあったものの1940年9月日独伊三国軍事同盟に至る。その後第2次世界大戦中において日独にたった交戦国枢軸国よばれた

※この「ベルリン・ローマ枢軸」の解説は、「枢軸国」の解説の一部です。
「ベルリン・ローマ枢軸」を含む「枢軸国」の記事については、「枢軸国」の概要を参照ください。

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