書簡の内容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 00:54 UTC 版)
「コロサイの信徒への手紙」の記事における「書簡の内容」の解説
本書簡は神学的考察と実践的なすすめの二部構成になっている。1章から2章にかけての神学的考察の部分では、霊において頭であるキリストの神性のうちにあって完全なものとなることをさまたげているものたちへ警告を行っている。共同体の頭であるキリストのうちに一つでありさえすれば、それ以上のものは何も必要ないと著者はいう。なお1章15~20節は、原始キリスト教教会に流布していた「キリスト賛歌」である。 実践的なすすめの部分では信仰生活においてすべきこと、なすべきでないことを解説する。さらに上にあるものを求め(3:1-4)、古い自分に死んで新しい自分を生きること(3:5-14)を示し、シンクレティズムキリスト教ではないイエス・キリストとその父なる神のみを信仰する生き方を提示する。3章18節以下は「家庭訓」になっており、「妻と夫」「子と親」「奴隷と主人」の間での訓戒が記されている。 4章7節によれば、ティキコは本書の運び手であり、パウロが手紙で伝え切れなかったことを人々に伝えるという使命を負っている。またフィレモンへの手紙における中心人物であるオネシモが再登場し、ティキコの同行者となっている。書簡の最後(4:16)でパウロはラオディキアへ送った手紙について言及している。偽書である『ラオディキアの信徒への手紙』はこの記述にもとづいて書かれたと考えられている。全体的に本書は『フィレモンへの手紙』と『エフェソの信徒への手紙』の中間に位置する書簡であるといえる。
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