書簡の正統性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 18:06 UTC 版)
「ガラテヤの信徒への手紙」の記事における「書簡の正統性」の解説
近代聖書学者の最初の一人フェルディナント・クリスティアン・バウアは、『ガラテヤ書』がパウロによるものでないと主張したが19世紀以降、この書簡がパウロ本人の手によるものであることを疑うものは少なく、もっともパウロらしい書簡とさえ言われる。 『ガラテヤ書』が真正なパウロ書簡であるという判断根拠は、そのテーマおよび様式にある。扱うテーマはパウロ文書によくあらわれるものであり、具体的な内容も『使徒書』と矛盾なく関連しあっている。なにより2:1-10においてパウロはエルサレムでの使徒会議を使徒書15章とは異なる視点から描いている。パウロの名を借りたその後の非真正書簡の多くはエルサレム会議に触れても、あくまで『使徒書』の記述をなぞることしかできないため、逆に『使徒書』にない詳細を書いていることが『ガラテヤ書』の真正さの証となっている。 本書簡の中心テーマは異教徒の改宗に関わる問題である。これは本書簡がまだほとんどのキリスト教徒がユダヤ教の出身だったキリスト教の最初期にかかれたことを示し、パウロの存命中にかかれたことも示す。本書に描かれる教会共同体はあくまでごく小規模なものである。
※この「書簡の正統性」の解説は、「ガラテヤの信徒への手紙」の解説の一部です。
「書簡の正統性」を含む「ガラテヤの信徒への手紙」の記事については、「ガラテヤの信徒への手紙」の概要を参照ください。
- 書簡の正統性のページへのリンク