上田庄三郎とは? わかりやすく解説

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上田庄三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/15 01:44 UTC 版)

上田 庄三郎(うえだ しょうざぶろう、1894年明治27年)11月10日 - 1958年昭和33年)10月19日)は、日本教員教育評論家である。

経歴・人物

高知県幡多郡三崎町(現土佐清水市)出身。高知師範学校(現高知大学教育学部)卒業。

高知県下の小学校教師・校長を経て1925年に上京。生活綴方運動に参加、1929年雑誌『綴方生活』同人となり、1931年には雑誌『観念工場』を創刊・主宰した。大正自由教育運動を果敢に実践し、池袋児童の村小学校を手本として、神奈川県茅ケ崎の雲雀岡(ひばりがおか)児童の村小学校校長を務めた[1]。戦後、「日本教育新聞」編集局長などを務めた。

戦前戦後の教育界に鋭い議論を展開し、特に教師論で多くの理解者・支持者を得た[2]。『上田庄三郎著作集』全6巻(国土社)がある。

日本共産党副委員長・参議院議員上田耕一郎日本共産党議長衆議院議員不破哲三

著書

脚注

  1. ^ 上田庄三郎 【うえだ-しょうざぶろう】デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
  2. ^ 上田庄三郎『青年教師石川啄木』国土社、1992年11月、ISBN:9784337659506、奥付

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