細井宗一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 09:59 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動細井 宗一(ほそい そういち、1918年1月2日 - 1996年12月26日)は、労働運動家[1]。
経歴
新潟県糸魚川市出身。陸軍士官学校卒業[2]。陸軍では後に内閣総理大臣を務める田中角栄の上官だった。共に新潟出身で1918年(大正7年)年生まれという共通点があり堅い友情に結ばれていた[3]。
シベリア抑留を経験した。日本に引き揚げた後に日本国有鉄道(国鉄)に入り、国鉄労働組合(国労)へ加入した。1952(昭和27)年国労本部中央委員に就任。岩井章と共に国労内の日本共産党系勢力を指導した。1957(昭和29)年の新潟闘争で国鉄を解雇された[4]。その後は総評反主流派の中核的な論客となったり[5]、現場協議制度を国鉄で行ったり[6]、国労新綱領の策定を指導したりした[7]。1996(平成8)年12月26日に78歳で亡くなった。
著書
- 『労働運動組合幹部論』学習の友社 1971
注釈
- 細井宗一のページへのリンク