ハンス・リヒター_(指揮者)とは? わかりやすく解説

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ハンス・リヒター (指揮者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/16 07:26 UTC 版)

ハンス・リヒター
Hans Richter
基本情報
生誕 1843年4月4日
オーストリア帝国
ハンガリー王国ジェール
死没 (1916-12-05) 1916年12月5日(73歳没)
ドイツ帝国
バイエルン王国バイロイト
職業 指揮者

ハンス・リヒター(Hans Richter, 1843年4月4日 - 1916年12月5日)は、19世紀後半から20世紀初頭を代表する指揮者。ハンガリー(当時はオーストリア帝国の一部だった)のジェール生まれ。ハンガリー名はリヒテル・ヤーノシュ (Richter János) 。主にウィーンバイロイトロンドンで活躍した。

略歴

ドイツ系の家庭に生まれて、ウィーン音楽院に学び、当初はホルン奏者として活躍した。

のち指揮者に転じ、ハンス・フォン・ビューローにかわってリヒャルト・ワーグナーの助手を務める。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』初演に合唱指揮者として参加、1876年の第1回バイロイト音楽祭では、バイエルン王ルートヴィヒ2世ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世ブラジル皇帝ペドロ2世フランツ・リストアントン・ブルックナーピョートル・チャイコフスキーら臨席のもと、『ニーベルングの指環』全曲を初演した。

このように、ワーグナーや、ワーグナー作品と深く関わりがあったため、当初ワーグナー派の指揮者と見なされていたが、交響曲第2番第3番を初演するなど、ヨハネス・ブラームス作品にも造詣が深かった。もっともブラームス自身は、イン・テンポ気味で音楽を運んでいくリヒターの解釈をかなり味気なく感じていたともいわれる。他にアントニン・ドヴォルザークアントン・ブルックナー、またイギリスではエドワード・エルガーの擁護者としても有名であった。

視覚障害により1911年引退。1916年バイロイトにて逝去。

逸話

主な初演作品

参考文献

脚注

  1. ^ Norman Del Mar (1983). Anatomy of the Orchestra. University of California Press. p. 180. ISBN 978-0520050624 
  2. ^ a b Michael Steinberg (1995). The Symphony: A Listener's Guide. Oxford University Press. p. 640. ISBN 978-0195061772 
  3. ^ Christopher Fifield (2016). Hans Richter. Boydell & Brewer. p. 300. ISBN 978-1783270217 



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