フリードリヒ・フーケとは? わかりやすく解説

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フリードリヒ・フーケ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 08:12 UTC 版)

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フリードリヒ・フーケ
Friedrich Fouqué
誕生 1777年2月12日
プロイセン王国ブランデンブルク
死没 (1843-01-23) 1843年1月23日(65歳没)
ベルリン
職業 作家
ジャンル ファンタジー
代表作 ウンディーネ』(1811年)
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フリードリヒ・ド・ラ・モット・フーケ(Friedrich de la Motte Fouqué, 1777年2月12日 - 1843年1月23日)は、ドイツの初期ロマン主義作家詩人。フケーは男爵としての家名で、本名はフリードリヒ・ハインリヒ・カール・ド・ラ・モッテ (Friedrich Heinrich Karl de la Motte)。

経歴

プロイセン王国ブランデンブルクで、フランス人の父とドイツ人の母との間に生まれた。祖先はフランス北西のノルマンディー地方の古い貴族の家柄であり、1685年ナントの勅令廃止によりプロイセンへ亡命した。フケーの祖父はプロイセンの将軍となり、フリードリヒ2世と親友になり、フケーが誕生した時にはフリードリヒ2世が名付け親になったほどであった。なお、父方の家系にはノルウェー人の血も流れているという。

フケーは軍人になり、ラインラントへの遠征の途中で見初めた女性と結婚した。しかし、数年後には年上の貴族の未亡人で流行作家だったカロリーネ・フォン・ロホーと結婚するため、この妻とは離婚した。

フケーは軍人を辞めた後、作家に転身し、1811年に『ウンディーネ』を発表した。これは彼の代表作となり、後にドイツで長い間読み継がれることとなる。『ウンディーネ』には別れた最初の妻への想いが込められているため、実に美しくて悲しい物語になったと言われている。1813年に『魔法の指輪』、1814年に『ジントラムの道連れ』を発表した。1843年1月23日にベルリンで死去した。

オペラ

フランスの作家ジャン・ジロドゥは『ウンディーネ』をもとにして1939年三幕の戯曲『オンディーヌ』を上演した。

主な訳書

幻戯書房〈ルリユール叢書〉、2022年。騎士道物語ファンタジー 冒険小説の先駆




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プロイセンの軍人 レオ・フォン・カプリヴィ  ヴィルヘルム・フォン・ホーエナウ  フリードリヒ・フーケ  エーリッヒ・フォン・マンシュタイン  ユルゲン・シュトロープ

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