てらだ‐とらひこ【寺田寅彦】
寺田 寅彦 (てらだ とらひこ)
1878〜1935 (明治11年〜昭和10年) |
【物理学者・随筆家】 「天災は忘れたころにやってくる」は至言。バイオリンと絵画を愛した世界的物理学者。 |
明治?昭和期の物理学者・随筆家。東京都出身。東大卒。五高在学中に夏目漱石と知己を得る。「尺八の音響学的研究」で理学博士。1913年(大正2)結晶によるX線回折の実験で世界的に知られる。16年東京帝国大学教授。その後地震研究所で地震予防と防災の研究を進めるかたわら、ガラスの割れ目、墨流し、金米糖の生成などユニークな研究活動を続けた。「天災は忘れたころにやってくる」の有名な警句を残し、優れた随筆家としても知られる。 |
年(和暦) | ||
●1882年 (明治15年) | ■上野動物園開園 | 4才 |
●1883年 (明治16年) | ■鹿鳴館完成 | 5才 |
●1889年 (明治22年) | ■大日本帝国憲法発布 | 11才 |
●1894年 (明治27年) | ■日清戦争 | 16才 |
●1903年 (明治36年) | ■江戸開府300年 | 25才 |
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 | 26才 |
●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 | 29才 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 | 32才 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 | 40才 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 | 45才 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 | 50才 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 | 54才 |
・樋口 一葉 | 1872年〜1896年 (明治5年〜明治29年) | +6 |
・福田 徳三 | 1874年〜1930年 (明治7年〜昭和5年) | +4 |
・上田 敏 | 1874年〜1916年 (明治7年〜大正5年) | +4 |
・長谷川 如是閑 | 1875年〜1969年 (明治8年〜昭和44年) | +3 |
・荒木 貞夫 | 1877年〜1966年 (明治10年〜昭和41年) | +1 |
・大河内 正敏 | 1878年〜1952年 (明治11年〜昭和27年) | 0 |
・吉田 茂 | 1878年〜1967年 (明治11年〜昭和42年) | 0 |
・有島 武郎 | 1878年〜1923年 (明治11年〜大正12年) | 0 |
・鏑木 清方 | 1878年〜1972年 (明治11年〜昭和47年) | 0 |
・永井 荷風 | 1879年〜1959年 (明治12年〜昭和34年) | -1 |
・大正天皇 | 1879年〜1926年 (明治12年〜昭和元年) | -1 |
・市川 左団次二世 | 1880年〜1940年 (明治13年〜昭和15年) | -2 |
・石井 柏亭 | 1882年〜1958年 (明治15年〜昭和33年) | -4 |
・福原 信三 | 1883年〜1948年 (明治16年〜昭和23年) | -5 |
・高村 光太郎 | 1883年〜1956年 (明治16年〜昭和31年) | -5 |
・鳩山 一郎 | 1883年〜1959年 (明治16年〜昭和34年) | -5 |
・石橋 湛山 | 1884年〜1973年 (明治17年〜昭和48年) | -6 |
・東条 英機 | 1884年〜1948年 (明治17年〜昭和23年) | -6 |
・安田 靫彦 | 1884年〜1978年 (明治17年〜昭和53年) | -6 |
・三浦 環 | 1884年〜1946年 (明治17年〜昭和21年) | -6 |
寺田寅彦
寺田寅彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/30 07:37 UTC 版)
寺田 寅彦(てらだ とらひこ、1878年(明治11年)11月28日 - 1935年(昭和10年)12月31日)は、日本の物理学者、随筆家、俳人。吉村 冬彦(1922年から使用)、寅日子、牛頓(ニュートン)、藪柑子(やぶこうじ)の筆名でも知られる。高知県出身(出生地は東京市)。
- ^ T. Terada (1913). “X-Rays and Crystals”. Nature 91 (2270): 213. doi:10.1038/091213b0 .
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)214頁
- ^ 久保亮五「ある感想」(PDF)『廣報(広報)』第11巻6号(昭和55年3月号)、東京大学大学院理学系研究科・理学部、1980年3月、2-3頁、2023年3月3日閲覧。
- ^ 『天災と国防』(初出は1934年11月、『経済往来』)にあるのは、次の言葉である。
経緯は中谷宇吉郎の随筆「天災は忘れた頃来る」に詳しい。文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顚覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。 — 寺田寅彦、『天災と国防』:新字新仮名 - 青空文庫 l. 15 - ^ 熊本日日新聞社編纂『熊本県大百科事典』熊本日日新聞社、1982年、418頁
- ^ 新版で、中谷宇吉郎『寺田寅彦 わが師の追想』講談社学術文庫、2014年
- ^ a b 山田一郎『寺田寅彦覚書』岩波書店、33頁。
- ^ a b c d e f 『日本の有名一族』、108-112頁。
- ^ 俳句から小説へ――小説家漱石の弟子としての寅彦熊本県立大学図書館
- ^ 「寺田寅彦記念賞のあゆみ」『寺田寅彦記念賞 - 高知県文教協会』高知県文教協会。
- ^ 「寺田寅彦記念賞」『寺田寅彦記念賞 - 高知県文教協会』高知県文教協会。
- ^ 回想記に『漱石・寅彦・三重吉』岩波書店、初版1942年、復刊1983年
- ^ 評伝に、池内了『寺田寅彦と現代 等身大の科学をもとめて』みすず書房、2005年。
責任編集『寺田寅彦 いまを照らす科学者のことば』河出書房新社「KAWADE道の手帖」、2011年
寺田寅彦(てらだ とらひこ,1878-1935)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 06:49 UTC 版)
「「うま味」を発見した男」の記事における「寺田寅彦(てらだ とらひこ,1878-1935)」の解説
明治11年、東京市麹町区に高知県士族寺田利正の長男として生まれる。明治29年、熊本の第五高等学校に入学し、英語教師夏目漱石、物理学教師田丸卓郎と出会い、科学と文学を志すきっかけとなる。明治32年、東京帝国大学理科大学に入学。ベルリン大学留学を経て、大正5年、東京帝国大理科大学物理学教授に就任する。昭和8年、池田菊苗の助言を得て、雑誌『科学』(昭和8年2月号)に随筆「自然界の縞模様」を発表する。
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寺田寅彦(てらだ とらひこ)
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「帝都物語」の記事における「寺田寅彦(てらだ とらひこ)」の解説
渋沢の秘密会議に出席、その場で加藤と出会い、露伴とは別に加藤と戦う。
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