寺田寅彦による評(祖母嶽序文より)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 21:56 UTC 版)
「百溪禄郎太」の記事における「寺田寅彦による評(祖母嶽序文より)」の解説
百溪君は東京帝國大學で資驗物理學を修め率業後は世界的に信用のある獨逸の電氣器械製作會社シーメンスシュッケルト社の東京支店員となり、今日ではもう可なりに古參の方であらうと思はれる。 物理學者であり同時に會社員であるところの百溪君が又同時に「祖母嶽」の著者であるといふことは一寸考へると不思議なことのやうにも思はれる。理解のない世間から概念的に想像せられる物理學者なるものは、恐らく唯生命のない物質と英エネルギーの数理的關係にのみ沒頭する仙人のやうなものであるかもしれない。一方で又、獨逸電機會社の店員と云へば、ハイカラで如才がなくて、さうして營利に拔目のない世間人であるらしう思はれるかもしれない。此の甚だしく對蹠的に見える二つの肩書が一人の百溪君に於て完全に融和して居ると云ふ事實は同君が「祖母嶽」の著者であるといふことによつて十分に説明されるやうに私には思はれる。 昭和七年二月一日 吉村冬彦 *(寺田寅彦が随筆家、俳人として1922年から使用)
※この「寺田寅彦による評(祖母嶽序文より)」の解説は、「百溪禄郎太」の解説の一部です。
「寺田寅彦による評(祖母嶽序文より)」を含む「百溪禄郎太」の記事については、「百溪禄郎太」の概要を参照ください。
- 寺田寅彦による評のページへのリンク