すいさん‐こうしゅうじょ〔‐カウシフジヨ〕【水産講習所】
水産講習所
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水産講習所
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早稲田大学で経済学を学ぶも中退し、1907年(明治40年)9月農商務省水産講習所製造科に入所し、小田原実習場や古釜布蟹缶詰工場で実習し、1910年(明治43年)7月卒業した。10月研究科に進み、1914年(大正3年)7月助手、12月技手となり、化学試験部で食品・分析実験を指導した。1925年(大正14年)7月水産講習所教授となり、食品論・科学実験を指導した。 1918年(大正7年)頃鈴木三郎助に協力してメリケン粉状だった味の素を結晶化したほか、1919年(大正8年)頃から村松善八のかつおエキスの研究にも加わるなど、専ら鰹節関係の研究に没頭し、生徒から「アミノ酸」の渾名で呼ばれた。 1926年(大正15年)11月17日農林省在外研究員となり、12月9日アメリカ合衆国へ出発し、1927年1月28日ニューヨークコロンビア大学に入学してコロイド化学・有機化学・生理化学を学び、バンスライク法(英語版)を実習した。帰路ロンドンオックスフォード大学でセント=ジェルジ・アルベルトに肉組織調査について学び、ドイツ・フランスを経て1928年(昭和3年)3月13日帰国した。 1929年(昭和4年)4月1日水産講習所から水産試験場が分離するとその技師を兼ね、当初第1部製造係、1931年(昭和6年)4月化学製造係に移り、後に化製係主任となった。1935年(昭和10年)5月神経衰弱になりながら完成させた「水産動物ノ肉蛋白質並ニ体液ニ関スル研究」で山川洵の推挙により東京帝国大学から農学博士号を授与された。授与後は村松商店で鰹の素の商品化に注力した。
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