経営史
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経営史(けいえいし、英語:business history)とは経営学の対象領域(企業など)の歴史について研究する学問分野である。経営史はアメリカのビジネススクールで生まれた。日本での経営史は日本経営史と外国経営史の2つに大別される。日本経営史においては、1873年(明治6年)6月に福澤諭吉が日本初の簿記書である『帳合の法』初編を出版し簿記講習所を設立され、商法が確立された近現代期と江戸時代以前に分かれる。
経営史の生い立ち
ビジネス・スクールの誕生
経営史はビジネススクール(Business Graduate School、経営大学院)の学問分野のひとつとして誕生した。もっとも古いビジネス・スクールは1881年にペンシルベニア大学に設置されたウォートン・スクール(Wharton School of Finance and Economy)である。その後1908年にハーバード・ビジネス・スクール(Harvard Graduate Business School)が誕生した。初期のビジネススクールにおいて研究・教育されていた内容は、経営学というよりはむしろ商学、経済学的色彩が強かったが、1920年頃から次第に経営学としての体系化が図られるようになった[1]。
経営史の誕生
学問としての経営史は経営学、とくに経営政策(business policy)の発展の中から生まれた。大規模企業組織の生成発展の観点から経営学や経営政策を論じる必要性があったからである。つまり、企業の発展をより長期的視野で研究するために経営史が誕生することになったのだ。因みに、ハーバード・ビジネススクールの初代院長はE. ゲイであったが、彼はまた当時のアメリカを代表する経済史家でもあった。
1927年、N. S. B. Gras(グラース)がハーバード・ビジネススクールに招かれた。彼はここで初めての経営史の講義を担当した。当初は経済史的色彩の濃いものであったが、次第に独自の学問領域を構築していった。その集大成が1939年に世に問うたGras, N. S. B. , Business and Capitalism:An Introduction to Business History, F. S. Crofts & Co. , 1939(植村元覚訳『ビジネスと資本主義――経営史序説――』、日本経済評論社、1980年)である。ここではドイツ歴史学派の経済発展段階説の強い影響を見ることが出来る。彼は資本主義の発展を以下の5つに分けた。すなわち、
- 「小資本主義」(petty capitalism)
- 「商業資本主義」(mercantile capitalism)
- 「産業資本主義」(industrial capitalism)
- 「金融資本主義」(financial capitalism)
- 「国家資本主義」(national capitalism)
資本主義と企業経営の展開を総合的に観察した。彼はその後ラーソンとの共著Casebook in American Business History, N.Y., 1939(『米国経営史のケース・ブック』)を出版した。
ラーソンの後にハーバード・ビジネススクールの経営史の教授ポストを継いだのは、ハイディであった。ハイディは妻と共に(Hidy, Ralph and Muriel E.Hidy, Pioneering in Big Business, 1882-1911:History of Standard Oil company, Harper & Brothers, 1955)を著した。
経営史学会
- 1964年、経営史学会が脇村義太郎を初代会長として設立された。日本経営学会とは設立前から、1961年10月日本経営学会第三五回大会(於名古屋大学)で経営史部門設立等もあり、関連学会として協力関係にある[2]。
参考文献
- 神戸大学経済経営学会編著『ハンドブック経営学[改訂版]』、ミネルヴァ書房、2016/4/11。ISBN 978-4623076734。
- 上林憲雄編著『経営学の開拓者たち: 神戸大学経営学部の軌跡と挑戦』中央経済社 (2021年)。ISBN 978-4502377518
脚注
関連項目
経営史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:42 UTC 版)
設立当初は全米各地のラジオ会社の大半を傘下に収めると共に、RCAレコード・NBCなどのメディア事業を経営、1923年までに海底ケーブルを利用した大西洋通信の3割、太平洋通信の5割を市場占有した。一方でロックフェラー・センターにRCAビルを竣工。1970年代にはラザードを自社の投資銀行に使い、ハーツレンタカーなど本業との関連が薄い企業もM&Aで保有していた。 1919年 - GEのオーウェン・D・ヤングが提案・創立する。素地はマルコーニ社。 1926年 - 放送会社NBCを設立する。 1928年 - ハリウッドの映画会社RKOに資本参画する。 1929年 - ビクタートーキングマシン(当時の日本ビクター蓄音機〈現:JVCケンウッド〉の親会社)を買収し、RCAビクター(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント〈米国〉)を設立する。 1969年 - 社名をRCAと改称する。 1984年4月 - CEDの商業的な失敗がCNNなどで報じられる(#終焉)。 1986年12月 - グループ全体をGEが凡そ64億ドル(概算1兆2000億円)で買収する。CED事業の失敗で大損したことが一因とされる。この買収額は当時のアメリカ企業による最高額であり、GEのコングロマリット化を推し進める象徴でもあった。 1987年 - GEはNBC事業を残し、その他の事業・資産をトムソンとベルテルスマンに売却。 1986年から1992年 - ジェイコブ・ロスチャイルド(コンシル・メンバー、最終年はシニア・フェロー) 1994年 - RCAドームの命名権を買収。 2002年 - トムソンは中国の家電メーカー・TCL社と、RCAブランドのテレビなどの生産・流通の合弁事業を開始。 2003年 - 「蓄音機に耳を傾ける犬ニッパー」の商標をGEからトムソンが買収。但しBMGの持つ使用権は継続。 2006年 - トムソンは家電アクセサリー部門とその分野でのRCAブランドの使用権をAudiovox社に売却。 2007年 - トムソンは欧州域外の家電事業とその分野でのRCAブランドの使用権の売却を決定。
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