経営危機と藩政改革とは? わかりやすく解説

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経営危機と藩政改革

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 14:16 UTC 版)

高知県」の記事における「経営危機と藩政改革」の解説

慶長10年1605年)、一豊の甥、山内忠義2代藩主就任するこの頃山内家幕府から土木建築助役江戸城名古屋城など)や大坂の陣への参陣などの要求により出費がかさみ、さらに忠義本人浪費癖あいまって借金は最も多い時期では歳入2、3年分にまで膨れ上がり幕府から借財整理勧告されるほどであった勧告受けて元和7年1621年)、仕置役・福岡丹波中心となり、藩政改革が行われた。具体的には、領内山林伐採農民動員し料木役)、伐採したなどを大坂送って売却し借財返却充てた。ほかに、緊縮政策による経費節約家臣からの上米・借上俸禄カット)、米の販売統制などをあわせて実施し寛永2年1625年)に借財返済完了した同時に安定した年貢収入を得るべく、改め検地を行うとともに農民による土地所有関係明確化した。国内田畑については、山間部中心に一領具足同時に本百姓名主)として土地支配し下層農民被官としてこれに隷属していたのであるが、長曾我部氏失脚によって一領具足、さらにその被官地位不安定化すると、被官たちが土地捨てて逃げ出す事例走り者)が多発した。藩当局走り者の罪を赦し農地への復帰進めとともに土地公平に分けて耕作させる田地割替制度始めたり、さらに年貢徴収制度定免法改めることにより、年貢収入安定化図った寛永8年1631年)、山内家近親である野中兼山奉行職就任し以降30年間にわたり、藩政改革リードした兼山は藩収入根幹である年貢米収入増加させるべく、新田開発、それに伴う灌漑開発用水路建設、そして港湾整備などの土木事業主導した同時にいまだに不平分子として燻っていた一領具足救済すべく、新田開発原野開墾功績のあったものを郷士として取り立てて知行与え才覚のあるものは奉行取り立てるなど、国内融和努めた。 しかし、これらの兼山施策は、農民労働力徴発を伴うものであったため農民の不満を招き、さらに百姓対す生活指導国産品専売による経済統制さらには飲酒対す罰金制度まで出されたため、国内反感招いた。さらに、郷士取り立てる方針譜代の上士たちの不平招いた寛文3年1663年)、家臣より3代藩主忠豊に対して兼山弾劾状が出され兼山失脚する兼山程なく死去一族永く幽閉され野中家絶えた

※この「経営危機と藩政改革」の解説は、「高知県」の解説の一部です。
「経営危機と藩政改革」を含む「高知県」の記事については、「高知県」の概要を参照ください。

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