経営危機と地元の支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:08 UTC 版)
バブル崩壊後に無理な拡大路線が災いし不良債権が増加。1994年3月期決算では、破綻先債権額は632億円にも上った。こうした経営不安から1997年(平成9年)秋には取り付け騒ぎが発生、親密であった東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)から1,000億円にのぼる資金調達やリストラ策公表、地元取引先の支援などで沈静化するまでに同年9月末の総預金は5兆3,740億円は、1年後には5兆856億円に急減し3,000億円近くもの預金が流出した。 1990年代に開設した埼玉県内の上尾・鴻巣や、乱脈融資の温床となった東京地区(渋谷・新宿新都心・日本橋・赤羽)の各支店を2000年までに近隣店舗に吸収させ撤退。 1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけ計3回にわたり総額1350億円の公的資金投入を受け、同年11月には自己資本の強化で6000万株の優先株(1株額面500円、計300億円)を発行。 2001年(平成13年) 不良債権処理を進め2003年(平成15年)3月期決算にV字回復を目標とする経営改善計画「あしぎん改善計画 プロジェクトA」を発表。 同年8月に地元財界人を中心に行内に経営諮問委員会を設置したが、景気低迷もあって健全化計画は思うように進まなかった。2002年(平成14年)3月期決算予想は1101億円の大幅純損失となり、優先株も無配とした(同期に北陸銀行・岐阜銀行も追従し、整理回収機構を通じて金融庁の議決権行使を受けている)。 2002年(平成14年)1月に約300億円の普通株増資を行った(1株114円)。一連の増資で異例となる栃木県および県内12市の自治体が総額10億2000万円の株を公的資金で引き受けた。 2000年(平成12年)12月に親密融資先の上野百貨店が自己破産を申請(負債総額164億円)。2001年(平成13年)10月には不正融資の舞台となったシモレンが民事再生法を申請(足銀の不良債権額約130億円、翌年破産宣告)、上場企業で準メインバンクであった日本ビューホテルなど大口融資先の倒産が相次いだした。 2002年(平成14年)に『北朝鮮による日本人拉致疑惑』がマスコミで取り上げられるようになると、同年4月に北朝鮮向けコルレス業務を取扱が少ないことを理由に打ち切った。同年9月の日朝首脳会談以降、日本と北朝鮮を繋ぐ手段として万景峰号と並ぶ形でコルレス業務がクローズアップされるようになったが、マスコミが取り上げたタイミングでは前出の通りすでに取りやめていた。 2003年(平成15年)3月には子会社・北関東リースとの株式移転で金融持株会社「あしぎんフィナンシャルグループ」を設立し、同社の完全子会社となったが、これは同3月期に単体で赤字だった同銀行の優先株復配を果たす目的なのが明白であり、多くの批判を受けた。
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