経営危機と外注化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 23:18 UTC 版)
第1回作品『ビッグX』を制作するも、大赤字を出し経営危機に陥る。人材の多くが人形劇出身者で占められていたため、アニメーション制作の経験者が少なく、外注や下請けアニメーターの言い値や枚数の誤魔化しが罷り通ったのが原因であった。経営破綻寸前に陥った東京ムービーは、テレビ制作会社国際放映(旧新東宝)の資本参加を受け、経営の立て直しを図ることになる。新社長には国際放映の阿部鹿三が就任し、創業者の藤岡は取締役制作部長に降格した。 1965年(昭和40年)、藤岡が東映動画の楠部大吉郎に声をかけ、楠部が代表となって有限会社エイプロダクション(以下Aプロ、現在のシンエイ動画株式会社)を設立。東映動画からクリエイターを招き入れることに成功する。『ビッグX』での経験から、制作体制の整備が目的であった。東京ムービーとAプロは業務提携の形を採り、東京ムービーは企画・管理を担当し、作画・撮影など実制作をAプロに委託する体制となる。以後、『オバケのQ太郎』『巨人の星』『アタックNo.1』等のヒット作を飛ばした。1971年(昭和46年)に国際放映から独立し、藤岡が社長に返り咲いた。
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