長沖一とは? わかりやすく解説

長沖一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 15:01 UTC 版)

長沖 一(ながおき まこと、1904年1月30日 - 1976年8月5日)は、日本漫才作家演出家放送作家

大阪府島之内出身。御津小学校、天王寺中学校旧制大阪高校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科卒。

実子は、元NHK大阪放送局所属の演出家・長沖渉。祖父は加賀藩士で、明治維新後に大阪に出てきて商売を始める。

略歴

大阪高校在学中に左翼運動を始める一方、1925年武田麟太郎秋田實藤沢桓夫と共に文学同人誌『辻馬車』を創刊。大学在学中に新人会に参加。

1929年3月、東大を卒業。

1930年、徴兵検査で歩兵第一連隊に入隊。甲種幹部候補生で10ヶ月ほど過ごし除隊後、作家に復帰。『中央公論』に「肉体交響楽」を寄稿するも軍批判とみなされ発表を見送られる。その後も左翼運動を続ける。

1935年より吉本興業部のPR誌[1]『ヨシモト』の編集者に迎えられ吉本興業部の文藝部に入る。

1937年、文藝部長に就任し漫才、軽演劇の台本を多く手がける。

1938年、慰問団「わらわし隊」を組織し多くの芸人を戦地に送り出す。

1941年、再度、徴兵検査で朝鮮龍山の部隊、1944年には和歌山の部隊に入る。

1947年、吉本を退社。旧友の藤澤桓夫と『文学雑誌』を刊行したり、小説集の『大阪の女』を出版。

その後は帝塚山学院大学の教授・文学部長、帝塚山学院短期大学の学長などをしながら、1952年には花菱アチャコ浪花千栄子の『アチャコ青春手帖』、1954年からはラジオドラマ『お父さんはお人好し』等の台本を手がける。両作とも映画化され、ラジオドラマ同様に人気を博した。

大学の講師時代には井原西鶴に傾倒し、研究に没頭した。

著書

  • やんちゃ娘行状記 東京文芸社 1954
  • 嬢はん体当り 東京文芸社 1956
  • お父さんはお人好し 東京文芸社 1956 のち春陽文庫
  • 上方笑芸見聞録 九芸出版 1978

演じた人物

脚注

  1. ^ 現在の『マンスリーよしもと』の前身。

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