橋本 國彦
東京生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学)および同研究科にてヴァイオリンを専攻。同時にほぼ独学で作曲を学び、前衛音楽から歌謡曲に至る幅広い創作活動を通じて一躍時代の寵児となる。その後1934年から3年間、文部省派遣生として欧州に遊学。シェーンベルクやその弟子ヴェレス、クルシェネクらに師事する。帰国後は東京音楽学校にて教鞭を取る傍ら、時局の要請に応じて戦時歌謡等を多数創作。戦後その戦争責任から母校を追われ、間もなく44歳で癌のため死去した。フランス印象派等の影響を受けつつ、日本の伝統的モチーフ他様々な旋法を用いたその創作は、ドイツロマン派を主流とした当時の楽壇にあって一際異彩を放っていたと言えよう。ピアノ曲にも、「三枚繪」や「をどり」など魅力的な作品が多い。門下生には矢代秋雄、芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎らがいる。
橋本國彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 18:59 UTC 版)
橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本の作曲家、ヴァイオリニスト、指揮者、音楽教育者[1]。
- ^ 橋本 國彦 / Hashimoto, Qunihico - ピティナ・ピアノ曲事典
- ^ コトバンク.
- ^ “感傷的諧謔 | 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ”. 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ | 日本のオーケストラ作品演奏のために (2014年8月8日). 2023年2月15日閲覧。
- ^ 橋本國彦 (1933-04-01). “タンスマニズム”. 月刊楽譜 22 (4): 付録1-4 .
- ^ “笛吹き女 | 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ”. 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ | 日本のオーケストラ作品演奏のために (2015年7月14日). 2023年2月15日閲覧。
- ^ 「『網走番外地』の作曲者わかる その名も橋本国彦」読売新聞 1987年5月8日付夕刊9面
「橋本 國彦」の例文・使い方・用例・文例
- 私、田島ホールディングス株式会社の技術部の橋本と申します。
- 検収の結果とフィードバックについては本件担当プログラマの橋本へ直接ご連絡下さい。
- 彼らは、橋本を総理大臣に選んだ。
- 日本の国会は、第52第首相に橋本龍太郎氏を正式に選出した。
- 私は橋本といいます。
- 私は橋本君からその知らせを受けた。
- 橋本先生は私たちに公平です。
- 橋本先生はケンの質問に当惑した。
- 橋本先生はエンジンをかけた。
- 橋本さんは皆に知られています。
- 橋本市という市
- 橋本病という病気
- 7回,清峰の橋本洋(ひろ)俊(とし)内野手が二塁打を打ち,無得点の均衡を破った。
- 橋本武(たけし)さん(98)は兵庫県神戸市にある灘(なだ)中学校・高等学校で50年間,国語教師を務めた。
- 橋本さんはその小説からさまざまな表現を選び,それらを詳しく説明して生徒たちに多彩なことを教えた。
- 橋本さんは同校の特別土曜講座の一(いっ)環(かん)で6月18日と25日に授業を行った。
- 約50人の生徒が橋本さんの授業を受けた。
- 授業中,橋本さんは生徒たちと言葉遊びをしたり,中氏の随筆の1つを暗唱したり,時間の流れや仏教的な人生観について語ったりした。
- 橋本さんは,若い人たちが自分の疑問に対する解決策を自分で見つけられるようになってほしいと考えている。
- その後,38分にレイソルのディフェンダー,橋本和(わたる)選手がループシュートを決めた。
橋本國彦と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 橋本國彦のページへのリンク