橋本國彦とは? わかりやすく解説

はしもと‐くにひこ【橋本国彦】

読み方:はしもとくにひこ

19041949作曲家東京生まれ欧州へ留学しシェーンベルクらに師事日本現代歌曲の道を開いた作品に「お菓子と娘」など。


橋本 國彦

【英】:Hashimoto, Kunihiko

2006年8月 執筆者: 須藤 英子

東京生まれ東京音楽学校(現東京芸術大学)および同研究科にてヴァイオリン専攻同時にほぼ独学作曲学び前衛音楽から歌謡曲に至る幅広い創作活動通じて一躍時代の寵児となる。その後1934年から3年間、文部省派遣生として欧州遊学シェーンベルクやその弟子ヴェレスクルシェネクらに師事する帰国後は東京音楽学校にて教鞭を取る傍ら時局要請に応じて戦時歌謡等を多数創作戦後その戦争責任から母校追われ間もなく44歳で癌のため死去したフランス印象派等の影響を受けつつ、日本の伝統モチーフ他様々な旋法用いたその創作は、ドイツロマン派を主流とした当時楽壇にあって一際異彩を放っていたと言えよう。ピアノ曲にも、「三枚繪」や「をどり」など魅力的な作品が多い。門下生には矢代秋雄芥川也寸志團伊玖磨黛敏郎らがいる。

ピアノ独奏曲


橋本國彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 13:29 UTC 版)

橋本 國彦
基本情報
別名 足利 龍之助
生誕 (1904-09-14) 1904年9月14日
出身地 日本 東京市本郷区
(現:東京都文京区
死没 (1949-05-06) 1949年5月6日(44歳没)
日本 神奈川県鎌倉市
学歴 東京音楽学校
ジャンル クラシック音楽,歌曲,歌謡曲
職業 作曲家,ヴァイオリニスト,指揮者,音楽教育
担当楽器 ヴァイオリン,ピアノ

橋本 國彦(はしもと くにひこ、Qunihico Hashimoto、1904年9月14日 - 1949年5月6日)は、日本作曲家ヴァイオリニスト指揮者音楽教育[1]

経歴

東京都本郷生まれ。ヴァイオリン辻吉之助に師事。北野中学校(現:大阪府立北野高等学校)を経て、1923年大正12年)東京音楽学校(現:東京芸術大学)入学。安藤幸ヨゼフ・ケーニヒにヴァイオリンを、チャーレス・ラウトロプ指揮法を学ぶ[2]作曲信時潔に指導を受けるもほとんど独学であったが、同校研究科で作曲を学ぶ。歌曲『お菓子と娘』『黴』などで作曲家としての名声を獲得。斬新な曲を作る一方ではポピュラーなCM曲や歌謡曲にも手を染めた。なお、この頃ヴァイオリンを教えた弟子に朝比奈隆がいる。

こうして日本の有望な若手作曲家となった橋本は、文部省の命により1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)の間、ウィーンに留学する。エゴン・ヴェレスに師事。アルバン・ベルクの歌劇『ヴォツェック』上演に接したり、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーブルーノ・ワルターの演奏を聞く。帰国途中に寄ったロサンゼルスではアルノルト・シェーンベルクに師事するなど、積極的に新しい音楽を学んだ。帰国後は日本洋楽界きってのモダニストとして、作曲家・編曲家として活躍。教師としても優れており、1933年(昭和8年)母校の教授に就任。門下には、矢代秋雄を筆頭に芥川也寸志團伊玖磨黛敏郎らがいる。1940年代前半には、『学徒進軍歌』『勝ち抜く僕等少国民』などの軍国歌謡や、皇紀2600年奉祝曲の「交響曲第1番ニ調」を作曲した。また十二音技法による創作を試みたりした。

戦後は戦時下の行動の責任を取って母校を辞し、『朝はどこから』などの歌謡曲や、戦火に倒れた人々を追悼するために独唱と管弦楽のための『三つの和讃』、日本国憲法の公布を祝う『交響曲第2番』などを発表した。1949年胃癌のため44歳で鎌倉で死去した。

レコード録音

日本ビクターの専属アーティストとして、自作を指揮した自作自演録音や、ヴァイオリン奏者としてのソロ・伴奏録音を大量に遺している。1943年5月13日、日本人として初めてベートーヴェン第九(第四楽章のみ)を指揮して商業録音した。尾崎喜八による日本語訳詞で、同年11月新譜として10月に《歓喜の頌》と銘打って発売され、年末のラジオ放送でも使用された。指揮者以外のメンバーは、香山淑子(ソプラノ)、四家文子(アルト)、木下保(テノール)、藤井典明(バス)、国立音楽学校合唱団、玉川学園合唱団、東京交響楽団(現:東京フィルハーモニー交響楽団)である。

他に、日本コロムビア東京音楽学校のオケ・合唱団を指揮した自作のカンタータ『皇太子殿下御誕生奉祝歌』と、皇紀2600年奉祝曲としてハンガリーヴェレッシュ・シャーンドルが日本に捧げた交響曲第1番(オケは紀元二千六百年奉祝交響楽団)を指揮して録音している。

代表作

管弦楽曲

  • 交響曲第1番ニ調(1940年)
  • 交響曲第2番ヘ調(1947年)
  • バレエ音楽『香の踊』(1925年)
  • スケルツォ(1926年)
  • バレエ音楽『ヒドランゲヤ・オタクサ』(1927年)
  • バレエ音楽『幻術師ヤーヤ』(1927年)
  • 感傷的諧謔(1928年)[3]
  • バレエ音楽『吉田御殿』(1931年)
  • バレエ音楽『天女と漁夫』(1932年)
  • 満洲大行進曲(1942年)

吹奏楽曲

  • 行進曲『若人よ!』(1937年)
  • 行進曲『興亜』(1943年以前)

室内楽曲

  • 古典舞曲『サラバンドの面影』(1926年)
  • モザート風のロンディーノ(1927年)
  • ヴァイオリンとチェロのための『四分音による習作』(1930年)

ピアノ曲

  • 『おばあさん』(1925年)
  • 『行進曲ヘ調』(1927年)
  • 『タンスマニズム』(1933年)[4]
  • 『三枚繪』(『雨の道』『踊り子の稽古帰り』『夜曲』の3曲)(1934年)
  • 『をどり』(1934年)
  • NHKラジオ体操第3(1946年、2代目)
  • 日本狂想曲
  • 子守歌

合唱曲

  • カンタータ『皇太子殿下御生誕奉祝歌』(1934年)
  • 音楽詩曲『光華門』(1939年、詩:中勘助
  • 交声曲『英霊讃歌』(1943年、詩:乗杉嘉壽

歌曲

歌謡曲など

  • 『ラヂオ小唄』(1930年、詩:西條八十
  • 『日活オンパレードの歌』(1931年、詩:柴山晴美)
  • 『廟行鎮決死隊の歌』(1932年、詩:佐伯孝夫
  • 『大大阪地下鉄行進曲』(1933年、詩:平塚米次郎)
  • 『チェリオ!』(1934年、詩:佐伯孝夫
  • 『母の歌』(1937年、詩:板谷節子)
  • 『大日本の歌』(1938年、詩:芳賀秀次郎
  • 『國民協和の歌』(1941年、詩:大政翼賛会
  • 『大東亜戦争海軍の歌』(1942年、詩:河西新太郎)
  • 『学徒進軍歌』(1944年、詩:西條八十
  • 『戦ふ花』(1944年、詩:深尾須磨子
  • 『勝ち抜く僕等少国民』(1945年、詩:上村数馬)
  • 朝はどこから』(1946年、詩:森まさる、NHKラジオ歌謡)
  • 資生堂社歌』(1946年、詩:土岐善麿
  • 『アカシヤの花』(1948年、詩:松阪直美、NHKラジオ歌謡、遺作)

弟子

その他

  • 日本人作曲家としてはめずらしく広辞苑にも記載されている。
  • 高倉健の1965年の大ヒット曲『網走番外地』は、橋本がペンネームの足利龍之助で作曲した1931年公開の日活映画『レビューの踊子』の主題歌が原曲とされる[6]

脚注

  1. ^ 橋本 國彦 / Hashimoto, Qunihico - ピティナ・ピアノ曲事典
  2. ^ コトバンク.
  3. ^ 感傷的諧謔 | 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ”. 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ | 日本のオーケストラ作品演奏のために (2014年8月8日). 2023年2月15日閲覧。
  4. ^ 橋本國彦 (1933-04-01). “タンスマニズム”. 月刊楽譜 22 (4): 付録1-4. https://dl.ndl.go.jp/pid/11004535/1/78. 
  5. ^ 笛吹き女 | 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ”. 東京音楽大学付属図書館ニッポニカ・アーカイヴ | 日本のオーケストラ作品演奏のために (2015年7月14日). 2023年2月15日閲覧。
  6. ^ 「『網走番外地』の作曲者わかる その名も橋本国彦」読売新聞 1987年5月8日付夕刊9面

参考文献

外部リンク

国立国会図書館歴史的音源

橋本國彦作曲

  • 城ケ島の雨』詩:北原白秋、アルト:斉田愛子、ピアノ:多部三郎、フルート:岡村雅雄(1935年12月)

橋本國彦作曲・ピアノ伴奏

橋本國彦作曲・編曲

橋本國彦編曲

橋本國彦編曲・ヴァイオリン演奏

橋本國彦ヴァイオリン演奏

橋本國彦指揮

詩:川路柳虹、曲・ソプラノ:関屋敏子、伴奏:日本ビクター管弦楽団(1934年10月)

脚注

出典


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