村野四郎とは? わかりやすく解説

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むらの‐しろう〔‐シラウ〕【村野四郎】

読み方:むらのしろう

19011975詩人東京生まれ新即物主義による実験的作品発表、のち存在根源重視する実存的な詩風示した詩集体操詩集」「亡羊記」など。


村野四郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/03 05:16 UTC 版)

村野四郎(1955年
村野四郎

村野 四郎(むらの しろう、1901年〈明治34年〉10月7日 - 1975年〈昭和50年〉3月2日)は、日本詩人日本現代詩人会会長。理研コンツェルン役員[1]。長男はセイコー株式会社代表取締役社長を務めた村野晃一[2]

東京北多摩郡多磨村に生まれた。父、兄たちが、それぞれ俳句や短歌を作るという文学的環境に育った。慶大理財科を卒業したが、詩への情熱は強く、1926年に第1詩集『罠』を刊行。ドイツ近代詩の影響を受け、モダニストの立場を鮮明にした。

頭で考えるのではなく、実際の物に即して考えるという新即物主義にもとづいた『体操詩集』は、人間存在と社会と宇宙の関係をとらえた画期的な詩集。戦後は独自の歩みをつづけ、「不在の神への近接」という実存的な詩境に達した。

来歴

東京府北多摩郡多磨村上染谷(現:東京都府中市白糸台)出身[3]。実家は江戸時代から続く素封家で酒や雑貨などを売る富裕な商家「村野商店」で、四代目として村野儀右衞門を襲名した父親は寒翠と号する俳人でもあった[1]。四郎は12人兄弟の四男として生まれる。次兄の村野次郎北原白秋門下の歌人、三兄の村野三郎は西條八十門下の詩人。

文学者には珍しく体育が得意で、東京府立第二中学校(現:東京都立立川高等学校)時代は体操柔道で活躍した。中学卒業の年に「中央文学」俳句欄で荻原井泉水に激賞されたことを機に「層雲」に入会し、自由律俳句俳人として文筆活動をスタートした[4][5]

慶應義塾大学部理財科(現:経済学部)入学後、詩作に転じる。大学卒業後、尼崎汽船に入社するがすぐに退職し、理研コンツェルンに勤務。子会社役員などを歴任する。ドイツ近代詩と「新即物主義」の影響を受け、事物を冷静に見つめて感傷を表さない客観的な美を作り出した。詩集『罠』でデビュー。『体操詩集』(1939年)では、スポーツを題材にした詩にベルリン五輪写真を組み合わせた斬新さと新鮮な感覚が注目を浴び、文芸汎論詩集賞を受賞した。同詩集については自身は「ノイエザッハリッヒカイト的視点の美学への実験」と言っている。

1950年、東京都三鷹市に理研電解工業を設立し専務取締役に就任、後に社長となる。1960年には『亡羊記』で第11回読売文学賞を受賞、室生犀星は「現代詩の一頂点」と評価した。命日の3月2日は「亡羊忌」と名付けられている。晩年はパーキンソン病に悩まされた。1975年3月2日、間質性肺炎を併発し、順天堂大学医学部附属順天堂医院で死去。戒名は明徳院文修雅道居士[6]。墓所は多磨霊園[4]。没後長男の村野晃一により四郎の生い立ちをまとめた『飢えた孔雀 父、村野四郎』(2000年)が刊行された。

詩人の草野心平読売新聞の夕刊に発表した村野の追悼文の冒頭で次のように書いた。この文章は後に書き改められて、作品として詩集『全天』に収められている。

――病院のベッドに仰向けのまま、終始天井をぼんやり見ながら、また眼をつむりながら彼はその時よくしゃべった。私は遠耳なので彼の言葉はききとりにくく「通訳」をとおしてきいていたが、涙は眼じりから頬に流れ耳たぶのところでたまり、それがまた尾をひいて頸からパジャマのなかにまでもぐっていた。彼はその涙のすじを一度もぬぐおうとはせず、よくしゃべった。その時、できたばっかりの最後の詩集『芸術』がおいてあった。――

作品、人物、その他

著書

詩集

  • 『罠』曙光詩社(1926年)
  • 『体操詩集』アオイ書房(1939年)日本図書センター 2004
  • 『抒情飛行』高田書院(1942年)
  • 『珊瑚の鞭』(1944年)
  • 『故園の菫』みたみ出版(1945年)
  • 『予感』草原書房(1948年)
  • 『実在の岸辺』創元社(1952年)
  • 『抽象の城』宝文館(1954年)
  • 『村野四郎詩集』東京創元社 ポエム・ライブラリイ 1958
  • 『亡羊記』政治公論社『無限』編集部(1959年)
  • 『村野四郎詩集』新潮文庫、1961
  • 『蒼白な紀行』現代日本詩集 思潮社(1963年)
  • 『村野四郎詩集』楠本憲吉編 白凰社 青春の詩集 1967
  • 『村野四郎全詩集』筑摩書房(1968年)
  • 『村野四郎 若い人のための現代詩』小海永二編著 社会思想社 現代教養文庫 1971
  • 『村野四郎詩集』金井直弥生書房 世界の詩 1972
  • 『村野四郎詩集』杉本春生旺文社文庫 1973
  • 『芸術』(1974年)
  • 『定本村野四郎全詩集』筑摩書房(1980年)
  • 『日本の詩 村野四郎』平井照敏ほるぷ出版 1985
  • 『村野四郎詩集』思潮社 現代詩文庫、1987
  • 『村野四郎詩集 遠いこえ 近いこえ』扶川茂編 かど創房 1994
  • 『詩人 村野四郎』府中市教育委員会監修 ネット武蔵野 2004

詩論

  • 『牧神の首環』(1946年)
  • 『今日の詩論』宝文館(1952年、1986年増補版(桜井勝美,山田野理夫編)
  • 『現代詩の味い方』同和春秋社 中学生の文学教室(1953年)
  • 『現代詩読本』河出新書(1954年)
  • 『現代詩を求めて』社会思想研究会出版部現代教養文庫(1957年)
  • 『鑑賞現代詩 第3 昭和』筑摩書房 1962
  • 『秀句鑑賞十二ケ月』愛育出版 1966
  • 『秀歌鑑賞十二ケ月』愛育出版 1967
  • 『現代名詩の鑑賞』愛育出版(1970年)
  • 『現代詩入門』潮新書(1971年)
  • 『詩的断想』冬樹社(1972年)

随筆

  • 『詩人の鶏』酒井書店(1957年)
  • 『鶏肋断想』毎日新聞社(1971年)

児童書

共編著

作詞・訳詞

脚注

  1. ^ a b 『NHK歌壇』2004年8月号、p60-61
  2. ^ 飢えた孔雀 父、村野四郎 慶應義塾大学出版会
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 村野四郎記念館 府中市郷土の森博物館
  4. ^ a b 小村大樹『歴史が眠る多磨霊園』花伝社、2019年11月20日。ISBN 978-4763409065
  5. ^ 村野四郎 歴史が眠る多磨霊園
  6. ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』324頁、東京堂出版、1997年。
  7. ^ a b 市民憲章・市章・府中市の歌 府中市
  8. ^ 府中駅メロに「府中小唄」「ぶんぶんぶん」を導入 府中市、2013年5月27日更新
  9. ^ 歌集 | 慶應義塾高等学校

参考文献

  • 府中市郷土の森博物館編『府中市郷土の森博物館 ブックレット3 詩人 村野四郎』府中郷土の森博物館、2003年2月

関連項目

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