平三小学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 08:02 UTC 版)
村の小学校として、平蔵地区に平三小学校があった。1876年(明治9年)を創立年とし、町村合併により平三村立から南総町立・市原市立と移行し、2016年(平成28年)3月に閉校。2021年現在は地域活性化の拠点施設「集い広場 へいさん」となっている。 明治から昭和初期にかけては、3つの旧村(大字)ごとに校舎(分教場)があり、組織としての学校は合併と分離・独立を繰り返した。1916年(大正5年)の『千葉県市原郡誌』の編纂時点では、大字ごとに米原尋常小学校・小草畑尋常小学校・平蔵尋常小学校が存在していた。 平蔵地区の小学校は、1876年(明治9年)に「二十二番平蔵小学校」として創立。1887年(明治20年)に平蔵尋常小学校が設立され、米原に分校を置いた。平三村が発足した1889年(明治22年)に、本校・米原分校・小草畑尋常小学校を合併し「平三尋常小学校」が発足した(「集い広場へいさん」サイトの掲げる学校沿革では「平三尋常小学校」の発足は1890年(明治23年))。しかし1893年(明治26年)に「平三尋常小学校」は「分裂」して大字ごとに分かれ、平蔵地区にあった小学校は再び「平蔵尋常小学校」となった(「集い広場へいさん」の掲げる学校沿革では、「分離」は1892年(明治25年))。 「分裂」の事情について、小草畑に関しては、集落から本校まで1里あまりと遠かったために児童を案じた有志が対策を講じ、1891年(明治24年)に小草畑に仮校舎(有志宅を教場とした)を設け、1893年(明治26年)に「小草畑尋常小学校」として独立したと『千葉県市原郡誌』に記されている。米原尋常小学校についても、1890年(明治23年)の時点で仮校舎をあらためて新校舎を設立したとある。平蔵尋常小学校は1908年(明治41年)に仮校舎をあらためて新校舎を建てた。 1925年(大正14年)に学校としては統合され、大字ごとに3つの教場を置く体制になったと見られる。1933年(昭和8年)に木造新校舎が現在地に落成したのを機に、分校舎も統合された。以後、1941年(昭和16年)に「平三国民学校」、1947年(昭和22年)に「平三小学校」と変遷している。
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