合併と分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 20:32 UTC 版)
「ミッドウェイゲームズ」の記事における「合併と分離」の解説
ゲームの中心がピンボールからテレビゲーム、アーケードから家庭用にシフトして行った事で、アメリカでは日本より一足先にアーケードの衰退が始まる。ミッドウェイは日本製ゲームに頼りすぎた事で、いつしかテレビゲームを自社開発する力が弱まっており、売り上げも急落して行った。 1983年からはテレビゲームに新分野としてレーザーディスクゲームが登場したが、奥行きが無い為すぐに飽きられた。意を決して発売したゲーム会社、特にピンボール出身のメーカーやアタリなどアメリカのゲーム会社には、深刻なダメージをくらった所もあった。 やがてバリーは1987年から子会社のリストラを開始し、1988年7月にバリーブランドのフリッパーやミッドウェイブランドのテレビゲーム等を、当時ウィリアムス社の親会社となっていたウィリアムス・インダストリーズ(通称WMS)に売却、バリー・ミッドウェイからミッドウェイ・マニュファクチュアリング社の名に戻った。しかしこの合併をきっかけに、ピンボールのデザイナーやデザインとしては、ウィリアムスとの差が無くなっていった。 また1992年1月にはウィリアムスブランドがテレビゲームから撤退、テレビゲームはミッドウェイブランドのみとなってしまった。 次にタイム・ワーナーが、アタリショックやテンゲン裁判事件の傷跡が完全に直っていなかったタイムーワーナー・インタラクティブ(TWI)のグループ切り離しを決定、1996年3月にWMSはこれも吸収し、社名をTWIからアタリゲームズに戻した。これにより同社は、ピンボール5大ブランドのうち3ブランドに加えてアタリゲームズという、アメリカを代表するアーケードブランドを多数抱えるに至った。 なおバリー本社は、最後に残ったカジノホテル事業が1996年6月、ヒルトンホテルに買収されている。 しかしそれでもまだアーケードの斜陽化は止まらず、ミッドウェイブランドはTWI吸収からたった7ヶ月後の10月、新社名「ミッドウェイゲームズ」として、バリー買収から実に27年ぶりに分離された。またこの時はミッドウェイブランドだけでなく、ウィリアムスとアタリゲームズ両ブランドのテレビゲームも移管された。 だが2000年にはアタリゲームズブランドがミッドウェイズ・ウェストと改名され(Westである理由は、ピンボールの大手メーカーが本拠地を構えていたシカゴから見て、アタリが位置するサンフランシスコが西側にあるため)、アタリゲームズブランドのアーケードはもう新作が出なくなった(ただし生き別れの兄弟であるアタリコープの売却先であるインフォグラムでは、2003年にアタリブランドが復活している)。しかしこれでユーザのアーケード離れはさらに加速、翌年3月にはアーケードから全て撤退し、家庭用ゲームソフト専門のサードパーティーとなった。 なお家庭用ゲームソフトでは『ゲーセンUSA ミッドウェイアーケードトレジャーズ』などの復刻ソフトも出しており、この中でミッドウェイ・ウィリアムス・アタリ(ゲームズ)のテレビゲームを遊ぶ事が出来る。
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