アタリゲームズ(アーケードゲーム部門)
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「アタリ (企業)」の記事における「アタリゲームズ(アーケードゲーム部門)」の解説
業務用ゲーム部門は、アタリゲームズ(Atari Games)と名前を変え、『ガントレット』や『マーブルマッドネス』などのヒットで知られていた。1985年には経営権がワーナーよりナムコに売却され、ナムコアメリカの中島英行がアタリゲームズの社長に、当時ナムコの社長だった中村雅哉が会長にそれぞれ就任した。しばらくの間、日本へのライセンスをナムコが行い、逆にナムコ製品の欧米でのライセンスをアタリが行っていた。1990年7月1日、ナムコはアタリゲームズとの資本提携を解消すると同時に、アタリゲームズの完全子会社であるゲームセンター運営会社アタリ・オペレーションズを買収した。1990年までは日本へのライセンスはナムコ、その後はコナミや、SNKからも行われている。 そして、アタリゲームズは自社製品の家庭用ゲーム移植を目指して子会社テンゲンを設立したが、セキュリティに関する著作権違反で任天堂から訴えられ、事実上の敗訴をしている。アタリショックから立ち直ろうとしたアタリゲームズは、これで再度傾いた。 その後、ワーナーが週刊誌で有名なタイム社に買収され、ロスは会長となり、社長には『ポン』量産開始直後にアタリに入社したダン・ヴァン・エルデレンが就任した。タイム・ワーナーは合併のレバレッジで莫大な借入金を背負ったが、ロスは金と実権を握った。タイム・ワーナー社となったのに伴い、タイム・ワーナー・インタラクティブ(通称TWI)に改名、一時的にアタリの名が消えた。 タイム・ワーナーは家庭用(アタリコープ)に続き、アーケード部門もタイム・ワーナーからの切り離しを決定、買収先には日本のゲーム会社の名も挙がったが、1996年3月にピンボール大手のウィリアムス・インダストリーズ(WMS)に買収された。アタリ(ゲームズ)の名はWMS側で復活したものの、今度は7ヶ月後にWMSから分離したミッドウェイゲームズにアタリブランドは引き継がれる。そして2000年2月にミッドウェイはアタリブランドを使用停止、アタリブランドのアーケード新作は作られなくなった(これらの詳細はウィリアムスとミッドウェイゲームズを参照)。この合併の成り行き上、ミッドウェイゲームズは今でもアタリゲームズのゲームの権利を保有しており、またミッドウェイのスロットマシンには『ポン』等、アタリのゲーム名を使っているものがある。 2009年、破産したミッドウェイをワーナーが買収し、アタリゲームズの権利は再びワーナーの物となった。
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