アーケード衰退期から現代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:06 UTC 版)
「ピンボール」の記事における「アーケード衰退期から現代まで」の解説
1982年〜1984年:ビデオゲームの新分野であるレーザーディスクゲームが登場したが、すぐ消滅。マイルスター、ミッドウェイ、スターン、アタリ等がダメージを受ける。 1984年11月:サム・スターンが死去。 1985年2月:スターン・エレクトロニクス社が業績不振のため破産。 1986年1月:ウィリアムス、ジャックポットなどの史上初の各種フィーチャーを採用したフリッパー「ハイスピード」を発売。 1987年4月:バリー、買収し続けて来た子会社のリストラを開始。1988年7月にバリーブランドのフリッパー、ミッドウェイブランドのビデオゲーム等をWMSに売却。バリー・ミッドウェイ社はミッドウェイ・マニュファクチュアリング社の名に戻る。 1992年1月:WMS、バリーブランドフリッパー「アダムス・ファミリー」を発売、2万台という久しぶりのヒット作となる。また、ビデオゲームはミッドウェイブランドのみとなる。 1991年11月〜1995年10月:バリー、ギャンブル機製造部門も複雑な統廃合を図る。WMSの売却を検討。 1992年:ウィリアムス、「ハイスピード」の続編「ザ・ゲッタウェイ ハイ・スピードII」を発売。 1995年10月:アライアンス・ゲーミング社がWMSを買い取る。アライアンスのギャンブル機で使われている「バリー」が、現存する唯一のバリーブランドとなった。 1996年3月:タイムワーナー・インラクティブ社(TWI)が親会社のタイムワーナーから切り離されて身売りされ、WMSが買収。社名をTWIからアタリゲームズに戻す。 1996年6月:バリー、最後に残ったカジノホテル事業がヒルトンホテルに買収される。 1996年10月:WMSからミッドウェイゲームズが分離、アタリゲームズもミッドウェイゲームズの一部門となる。WMSのアーケードゲームはフリッパーの下請け製造とギャンブル機のみが残る。 1999年3月:WMS、起死回生策としてテレビ画面を組み合わせた「ピンボール2000」シリーズを計画、バリーブランドフリッパー「リベンジ・フロム・マーズ」を発売。続けてウィリアムスフリッパー「スター・ウォーズ エピソードI」を発売したが、これでもピンボール販売不振の状況を変えるには至らず、WMSは10月にバリーとウィリアムス両ブランドのフリッパー生産を中止した。 2000年2月:ミッドウェイゲームズ、アタリゲームズをミッドウェイ・ウェストと改名し、アタリブランド使用停止。だがこれがアーケード離れに加速をかけた。 2001年3月:ミッドウェイゲームズ全体がアーケードから撤退。
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