アタリとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 06:59 UTC 版)
「オデッセイ (ゲーム機)」の記事における「アタリとの関係」の解説
ベアより少し後にビデオゲームの商業化を目指し始めたノーラン・ブッシュネルは、アーケードゲームゲームで『コンピュータースペース』を出して失敗した。だがその発売会社だったナッチング・アソシエーツ社の社長は1972年春、カリフォルニア州バーリンゲームでのオデッセイのプライベートショーを知りブッシュネルに調べに行かせた。ブッシュネルはナッチング社長に「そんなに面白いゲームではなかった」と報告したものの、実際にはオデッセイに影響を受けアタリ社を設立、オデッセイのピンポンゲームを真似て『ポン』を作らせ「世界で初めてヒットしたビデオゲーム」の名誉を勝ち取った。 マグナボックスはオデッセイ発売後すぐTVゲームについての特許を登録。番号の一部をとって「480」特許と呼ばれた。その2週間後『ポン』のことを知ったが、当時はベアがリサーチを行ったのみで、裁判については保留のままとしていた。しかし1976年にある会社が複数種のゲームが遊べる集積回路を発売する事になったため、『ポン』を製造したアタリ、およびコピーゲームを製造した各社に対し、いよいよ訴訟を起こした。 2社は裁判所に出廷、マグナボックスは前述したベアの几帳面さの功績もあり、ブッシュネルがプライベートショーに出席した証拠や目撃証人やプライベートショーのサインも提出した。しかしブッシュネルも彼の弁護士も対応がさっぱりで、自分で作った『コンピュータースペース』の回路図さえ説明出来なかった。『スペースウォー!』の作者であるスティーブ・ラッセルも証言に登場している。 結局アタリは、事前にマグナボックスの弁護士に話を通していた法廷外和解による解決でライセンス料70万ドルを支払うこととなった。マグナボックスがオデッセイで一番儲けた金額はこれだとも言われているが、それでもベアはこれを「安い」と語っている。 オデッセイには『ポン』の元になったピンポンゲームが入っている事から売れ行きに拍車がかかったが、それでも1974年に製造を終了した。ベアも後になって「『ポン』が出なければ、オデッセイはあんなに売れなかっただろう」と語っている。
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