コピーゲーム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 01:04 UTC 版)
コピーゲームは既にエレメカ時代から登場、問題化していた。市場のラッシュの中、アタリは遅れることなく著作権と特許について申し立てを行ったが、『ポン』はコピーゲームも含めると、全世界で約10万台作られたと考えられている。ブッシュネルもコピーゲームに怒りを感じていたが、業務が多忙で対応する余裕が無く、アタリからの訴訟は無かった。それよりも「コピーゲームを作られるぐらいなら、コピーゲームを出す暇が無いほど、新しいオリジナルゲームを沢山出せばいい」というのがアタリの方針だった。 ウィナー(ミッドウェイ) - 前述のブッシュネルの商談が縁で、唯一のライセンス生産となった。 パドルバトル(アライドレジャー) - アタリよりも多くの台数を生産した。 TVピンポン(シカゴコイン) パドルボール(ウィリアムス) テーブルテニス(ナッチング・アソシエーツ) 上記5社は以前からエレメカ、またはその後ビデオゲームを作った事がある会社である。 ポントロン(セガ、後のセガ・インタラクティブ) エレポン(タイトー) 上記2ゲームは『ポン』が出た翌年の1973年7月に出ており、これが日本初のビデオゲームとなった。どちらが早いかについては、書類に書かれた日付や実際に出来上がった日付がドングリの背比べ状態で比較しようがなく、両社が同時に作ったという事が定説になっている。またこの他にもアタリからの輸入品や、個人の作ったコピーゲームが日本で稼動していたと言われている。 非常に単純なゲームのため、電子部品ではなくゼンマイと歯車など機械要素を使った実現例もある。 ブリップ(トミー、後のタカラトミー)
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