合併と特例市指定への経緯
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2001年、「大里はひとつ」を合言葉に市長小林一夫と深谷市長新井家光(共に当時)を中心に大里地域の合併について話し合いを始め、2002年7月には各町も参加し、任意合併研究会が設立されたものの、2003年3月には破談してしまった。理由は「新市の市役所の場所について熊谷市(熊谷市役所を活用)と深谷市(位置が新市の地理的中心となる熊谷市の籠原駅付近に新たに建設)で意見が分かれ、合併特例債の使い道に関して大きな隔たりがあるため」と報道されたが、2002年12月に旧熊谷市が行なった住民アンケートにおいて大里地区全体よりも1市3町(現在の熊谷市)での合併を望む回答が多かったことも影響した可能性もある。それに次ぐ形で翌月には熊谷市と深谷市それぞれが中心となって2つの法定の合併協議会が成立した。熊谷市側は「熊谷市・大里町・江南町・妻沼町合併協議会」であった。しかし2004年3月21日江南町の合併を問う住民投票で反対派多数という結果となり、同年5月31日合併協議会を解散した。翌日、「熊谷市・大里町・妻沼町合併協議会」を設立し、2005年10月1日に熊谷市・大里町・妻沼町が合併して新「熊谷市」の誕生となった。 一旦は離脱した江南町であったが、単独では厳しい状態にまで財政が緊迫していた。破綻・行政再建団体移行の可能性もあることが試算で出たため、危機感を募らせた当時の町長および合併推進派町議員を中心として、再び合併に向けて動き始めた。過半数の住民による合併賛成の署名も集まり、2006年1月30日、熊谷市へ合併協議の申し入れ、同年4月1日に「熊谷市・江南町合併協議会」を設置し、2007年2月13日に江南町が熊谷市に編入され、特例市指定手続きを開始した。以下で詳細を記述する。 2003年4月1日 - 熊谷市・大里町・妻沼町・江南町合併協議会設立。 2004年5月31日 - 同年3月21日に江南町で行われた住民投票で合併が反対となったことを踏まえ、合併協議会解散。 6月1日 - 熊谷市・大里町・妻沼町合併協議会設立。 11月11日 - 熊谷市・大里町・妻沼町合併協定調印式。 2005年3月25日 - 埼玉県議会が、熊谷市、大里町および妻沼町の合併を可決。 3月30日 - 埼玉県知事が熊谷市、大里町および妻沼町の廃置分合を決定し、総務大臣に届出。 4月28日 - 熊谷市、大里町および妻沼町の廃置分合が官報で総務大臣から告示。10月1日の合併が確定された。 10月1日 - 熊谷市、大里郡妻沼町、大里郡大里町が合併し、新たに熊谷市が設置された(新設合併)。 2006年4月1日 - 熊谷市・江南町合併協議会設立。 7月13日 - 熊谷市・江南町合併協定調印式。 10月12日 - 埼玉県議会が、熊谷市および江南町の合併を可決。 10月18日 - 埼玉県知事が 熊谷市および江南町の廃置分合を決定し、総務大臣に届出。 11月10日 - 熊谷市および江南町の廃置分合が官報で総務大臣から告示。2007年2月13日の合併が確定された。 2007年2月13日 - 大里郡江南町が熊谷市に編入された。 2008年10月22日 - 「特例市の指定に係る申出書」を総務大臣へ提出。 2008年11月21日 - 特例市の指定都市に熊谷市を追加する改正を行う政令公布。 2009年4月1日 - 政令施行に伴い、特例市に指定される。
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